20年前のゲイ差別をいまだ笑い話にする日本テレビの変わらなさ…

20年前のゲイ差別をいまだ笑い話にする日本テレビの変わらなさ


「テレビはつまらなくなった」

そんな言葉をよく耳にする。
そういう時、大抵の人が思うことに

「いま振り返ってみるとあの企画はありないよね」

と過去の破天荒な番組を懐かしむ声があがってきます。

8月15日放送の『ウチのガヤがすみません!』でも
そんないま考えるとありえないロケを出川哲朗が振り返る一幕がありました。

世界中のゲイバーで避妊具を配った電波少年のロケ

芸歴32年。これまで数多くのロケで様々な奇跡を起こしてきた
出川さんにとって最も辛かったロケ。

それは、日本テレビ系で放送されていた『電波少年』で行った、
ストップエイズキャンペーンの一貫として
「世界中のゲイバーに行って避妊具を配る」という企画でのロケ中のこと。

90年代人気番組として席巻していた『進め!電波少年』の
特別番組『電波少年INTERNATIONAL』のワンコーナーとして
1995年12月31日に放送されている。

1階で相手を見つけて気にいった相手と
2階でイチャイチャする仕組みになっているゲイバーの1階で

「冗談だけど、『ユーアータイプ』『アイウォンチュー』」
と言いながらコンドームを配っているうちに、
2階に連れて行かれ、「6、7人のマッチョの人に全裸にされる」

のが「いつも通り」だと出川は言う。

カメラマンは同行せず、ピンマイクをつけた出川が
単身でゲイバーに入店しているが、
「助けて」といえばスタッフが来る手はずになっていた。

しかしシドニーのロケでは、出川いわく

「絶対わざと、そのほうが面白いから」

スタッフが助けに来なかったそうだ。

「そのまま俺は……」
「めちゃめちゃ痛かった」
「ビリヤード台に(仰向けに寝転がり、足を広げるジェスチャーをしながら)こういう感じに」

と、直接的な表現はしないものの
肛門に男性器を挿入されたことを匂わせる話を
身振り手振りをいれて説明したのち、

「オーストラリアのビリヤード台の天井の景色いまだに忘れられない」

といって話を締める。

その間、番組に出演している多くのお笑い芸人は手を叩き爆笑していた。

この企画は「いま振り返るとありえない」と懐かしむような話ではない。
当時は現在ほどにはゲイに対する理解が広まっていなかっただろう。

いまだ「ゲイ」そして「ホモ」や「オカマ」という言葉を差別的な文脈の中で使い、
「掘られる」などという話をジョークとして使うような現状の中で
どれだけの人がこの放送に傷つけられただろうか。

20年前のゲイ差別をいまだ笑い話にする日本テレビ

90年代半ばといえば、80年代後半から起きた
エイズパニックの記憶もまだ鮮明に残っている時期

声を上げることもためらわれただろう。
これは振り返るまでもなく、当時から「ありえない」話だったはずです。

日本テレビは出川のロケが放送された年と同じ
1995年の6月9日に放送された『解禁テレビ』のワンコーナー
「怖くて行けない場所・第2弾 男がオトコを愛する交差点」の放送内容が、
同性愛者の差別を助長するとしてゲイフロント関西という団体から抗議を受けている。

日本テレビは同団体が出した「質問状」に対して開き直ったかのような回答の上で、

「御指摘などを参考により一層の認識を持ち、配慮しなければいけないと考えております」

と既視感のある言葉で締めた回答書を出します。

さらに、再質問に対しては回答期日として提示された
9月10日から4日遅れた9月14日に、
同性愛者を揶揄するつもりも差別を助長する意図もなかったが、

「怖くて行けない所」というコーナータイトルや出演者の軽率な発言については、
配慮が欠けており、結果的に一部の同性愛者に不安感を与えたことをお詫びすること。

指摘を受け、一部同性愛者の方々を傷つけたことを改めて認識した。
この指摘を生かし、より幅広い配慮を重ね、番組づくりに生かして行きたいと考えている」

と回答。

その後、10月に日本テレビの回答は事実上の謝罪表明と受け止めるが、
質問書に示した項目別の質問に対して回答がないとして再度返信を求めたところ、
先の回答書は、項目別の回答を超え、全体として
結果的に一部の同性愛者に対し不安感を与えことを認識した。

配慮が欠けていたのはコーナー全体に及ぶとして、具体的な回答は行っていない。

さらに、「揶揄も差別の意図もなかった、だから指摘に真摯に向き合い、
謝意を伝えた」と返答し、これが最終的な回答であるとしている。

同年12月に同団体は回答は不十分であり、
差別を助長する意図はなかったと理解を求められても到底、
首肯できないとして一連の交渉を資料としてまとめることを通告している。

日本テレビの回答はいまの私たちに非常に馴染み深いものではないだろうか。

差別の意図はなかったという、あたかも差別が意図的であるかどうかが
問題であるかのような認識も「一部の」とつけて特定の団体のみを対象とすることも、
そして、不安感を与えたことと受け止め側の問題とする態度は
不快な思いという言葉に変わり、いまだ残っている。

何よりも考えなければいけないのはもし出川哲郎のエピソードが
いまだ笑い話として受け止められる社会なのだとしたら、
LGBTという語が広まり、認知度が高くなった現在においても
わたしたちはなにも変わっていない、わかっていないまま、ということなのではないだろうか。

それは本当にいま考えるとありえないと言ってしまえるのかということでもある。
20年前の過去の話として振り返ることのできるものではないのです。

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