亡くなった長女から教えてもらったこと…
どんな人生でも無駄や敗北はない。大切なことは…




8年程前に長女を亡くた男性の話。

彼女は生まれたときから重い障害をもった子供で
18年間の人生の中で一度も自分の力で
ベッドから起き上がることが出来ない生活を送り、
そして死にました。

急な死だったために慌てて病院に駆けつけたのは
死後一時間ほどしてからでした。

娘は既に冷たくなっていて、
18歳にしてはずいぶん小さな体をベッドに横たえていました。

その夜、通夜が営まれ、
お棺に入れられて祭壇に安置されている娘の遺体を目にしたとき、
なぜか「あ、もう肉体から魂が抜け出してしまっている」と感じたのです。

ふと祭壇の上の方を見ると
そこに娘がポコンと浮かんでいました。

それは、生前の肉体の姿ではなく、
白く光る玉のように見えました。

無事にお通夜を終え、僕は翌日の葬儀に備える為に
教会の駐車場にあった車に戻りました。

車のエンジンをかけた時に、
僕は助手席に死んだ娘がいる事に気がつきました。

さっきと同じ光る球体のようでした。

「一緒にお家に帰るか」と僕は娘に声をかけました。

彼女は「うん、一緒に帰る」と答えました。

不思議なことです。

生きているときは、言葉が喋れないために
一度も会話をしたことがない彼女と
死んだ後ではまるで普通の人と同様に会話ができるのです。

と言ってもそれは鼓膜から通して伝わってくるものではなく、
直接僕の心に語りかけてくるテレパシーのような通信手段でしたが、
それでも意思は完全に通じあっていました。

亡くなった長女から教えてもらったこと

色々なことを語り合いながら、
車を運転していくと、途中で雨が降り始めました。

家に着いたときもまだ雨は降り続いており、
彼女は「そうかぁ、雨ってこういうものなんだ」と感激していました。

ずっと室内で暮らしていた彼女は
雨というものを実体験したことがなかったのです。

その後、娘は(ヘンな話ですが)
自分の葬儀にも出席し、しばらく我が家に滞在していました。

その間に

「お前はなんであの不自由な身体を選んで生まれてきたのだ」

と尋ねたことがあります。

娘の答えはこうでした。

他の理由はあるけど、
私が生まれる前のパパの心の状態のままだと、
パパは弱者に対してのやさしさが持てない人になっていたかもしれないの。

それで私は重い障害をもってパパの娘に生まれたの。

この言葉は僕にとって目からウロコが落ちるようなものでした。

たしかに、思い返してみれば当時の僕には
そういった傾向があったのかもしれません。

やがて娘は、「もう天に帰るから」と言って去っていきました。

痛く、辛く、悲しい人生ではあったと思いますが、
彼女の一生は無駄でも敗北でもありませんでした。

障害をもつ子として生まれて、
僕に思いやりの大切さを気づかせてくれたのですから。

どんな人生でも無駄や敗北はないのです。
大切なのは無駄や敗北とみえたことから
『何を学び取るか』なのです。

どんな人でも人生のストーリーがあります。

そのストーリーには
大きなお役目のミッションがあり
そのミッションを果たすために
私たちは生まれてきているということです。

全ての出来事には意味がある。
そう信じてこれからも歩んでいきたいですね。
引用:https://www.facebook.com/universehappiness/photos/a.474974162581505.1073741826.474970279248560/799646513447600/?type=3

ネットでの反応

・障害者施設で働いてます。
私がここで働くにも何か意味があるのだと思います。
明日から初心に戻って働きたいと思います。

・忘れていたものを感じさせていただきました。

・障害を持ってこの世に生まれる子供たちの魂の深さを感じます。
子供が身をもって人を思いやるということに
気づかせてくれるなんて、本当に深い、深い愛ですね。

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