4年の闘病の末にガンで亡くなった9歳の息子…
その時、母は一滴の涙も流さなかった…




親にとって、子供の存在って大きいですよね。

子供のためなら、どんな困難でも立ち向かえる!という人が大半だと思います。

その子供が病気になったとしたら、
自分の命と引き換えに助けてほしい!と考える人も多いはず・・。

年の闘病の末にガンで亡くなった9歳の息子

神奈川県に生まれたある男の子がガンになってしまい、
4年もの闘病生活の末に亡くなってしまいました。

その時、母親は一滴の涙も流さなかったといいます。

1992年に神奈川県に生まれた山崎直也くん。

小さい頃は活発で、ごく普通の元気な男の子だったそうです。
それなのに、わずか5歳で病気を発症してしまいました。

直也くんの病名は「ユーイング肉腫」と呼ばれる悪性のガンでした。

この「ユーイング肉腫」とは、

ユーイングという人が最初に報告した肉腫です。
ユーイングは骨髄の血管の細胞が腫瘍化したものと考えましたが、
現在もその腫瘍細胞がどこから発生したものかはっきりしていません。
悪性骨腫瘍全体の5%前後とまれな腫瘍で
20歳までに約4分の3の人が発症し、骨肉腫と同じくらいか
もう少し年少の年代に多いようです。

10万人に1人という非常に稀な病気で
骨の腫瘍のため転移もしやすい病気です。

放射線治療や抗がん剤での治療を行い、
一時は学校にも通えた時もあったそうです。

直也くんは辛い治療を行いながらも、
再発と手術を繰り返さなければならない状況でした。

そんな彼をそばで支えていたのが、
母親の敏子さんです。

壮絶な治療に耐える息子の姿を見て、
敏子さんは「できることなら代わってあげたい。」と
直也くんに言ったそうです。

すると直也くんはそのたびに力を込めて

『ダメだよ』とかぶりをふり、『ナオでいいんだよ。
ナオじゃなきゃたえられない。おかあさんじゃむりだよ』

きっぱりとそういうのです。

辛いだろうに母親を励ます直也くん。
これだけでもちょっとウルっとしてしまいますよね。

病状は悪化

必死に頑張る直也くんですが、
病気とは残酷なもので2001年6月には全身に癌が転移してしまいました。

もうできる治療がなくなってしまったのです・・・。

どんどん強くなっていく痛みに直也くんは手術を希望しましたが、
医師はモルヒネで痛みを緩和するしかない状況でした。

そして器官が炎症を起こして気道を圧迫することにより、
直也くんは呼吸困難の発作に襲われました。

それを見た敏子さんはパニック状態で泣きながら主治医を探したそうです。

そして、どうにか発作が落ち着くと医師から
「もってあと半日」という宣告を受けたのです。

余命半日の宣告を受けた直也くんが母親にかけた言葉は、

『おかあさん、さっきナオがあのまま苦しんで死んだら、
おかしくなっていたでしょ。
だからナオ、がんばったんだよ。
それでも苦しかったけど。おかあさんがナオのためにしてくれたこと、
ナオはちゃんとわかっていたよ。「先生早く!」って叫んでいたよね。

でも安心して。ナオはああいう死に方はしないから。
ナオはおじいさんになるまで生きたいんだ。
おじいさんになるまで生きるんだ。
頑張れば、最後は必ず幸せになれるんだ。
苦しいことがあったけど、最後は必ずだいじょうぶ』

もう自分がダメかもしれない。
そんな状況でも希望を捨てず、母親を気遣える直也くん。

自分が同じ状況だったら同じことできますか?私にはできません。

2001年7月2日、直也くんは静かに息を引き取りました。
医師に「あと半日」と宣告されてから2週間が経過していたそうです。

入院中に直也くんは看護師に、

あのね ナオは今死ねないんだよ。
お母さんの心の準備が出来ていないから、今はまだ死ねないんだよ

直也くんの母親を想う強い気持ちが、
余命宣告より長く生きれた奇跡を起こしたのかもしれませんね。

2007年に本を出版

母親の敏子さんは直也くんが闘病生活の中で
遺した言葉を1冊の本として出版しました。

自分が辛い時や人生に迷った時にぜひ読みたいですよね。