オウム真理教の元信者が実際に体験した修行…
ガチで気持ち悪い…


オウム真理教とは

かつて存在したテロ団体。
当初は麻原彰晃を開祖とする新興宗教でした。

日本で初めて化学兵器のサリンを使用し、
地下鉄サリン事件、松本サリン事件など大規模なテロ事件を起こした。

そして今年の7月6日に麻原彰晃(松本智津夫)を含む
7名の死刑が執行されました。

今回はそんなオウム真理教の元信者が体験した修行を紹介します。

自宅にて神秘体験

1988年、何気なく本屋で手にしたオウム関連の書籍に心を奪われた。

書籍にある修行プログラムを初めて
3ヶ月後、自宅で衝撃的なクンダリニーの覚醒を体験する。
本に書かれている通りの神秘体験だった。

まず尾てい骨の先端が振動する。

そして尾てい骨の先端から熱い流動体が
螺旋状に突き上げていく。

クンダリニーの熱い流動体は私の背骨を駆け上がり大脳の中を暴れ回った。

この体験により、一気に解脱や悟りに興味が湧き、
オウム入信を決意した。

セミナー

道場では修行により解脱したとされる
大師と呼ばれる人たちが信徒の様々な相談に対応していた。

毎回行われるセミナーではヨガの呼吸法等が伝授され指導された。

オウムでは教団の教義として仏教や密教が
掲げられこれを真理とした。

そこに集う人たちはカルマの法則、
功徳のメカニズムを信じ
人類の救済を提唱する麻原氏を絶対的存在として崇めた。
私もその中の一人であった。

麻原氏との対話

道場に通いだしてからまもなく麻原氏と面談をする。
信徒は1回3万円で麻原氏との個人面談を受けれる。

私は今までの人生においての不運を話すと
麻原氏は

「君は完全に大魔境だ。
しっかり功徳を積んで乗り越えなさい」

と語った。

熱いものがこみ上げていった。

オウムでは人の幸せや不幸はすべて
過去のカルマに蓄積された結果であるとされ
功徳を積むことを提唱されている。

チラシ折りや知り合いを勧誘したりと
オウムの布教活動は多大な功徳が積めるとされていた。

私は功徳を積んで今までのふさぎがちな
生き方を変えられると夢見た。

狂気の集中修行

1989年1月、私はミラレパ大師の進めで
狂気の集中修行というセミナーに参加する。

これは年に1回催されるオウムの一大イベントで
在家信徒200名以上が参加した。

修行プログラムは1日14時間を超える
全10日間のセミナーで毎年何人かの
脱落者が出るほどのハードな内容である。

立位礼拝という修行では五体を投地し大声で

「グルとシヴァ神に帰依し奉ります!」

と唱える。

程良い広さを持つ道場は信徒らの声が大きく鳴り響いていた。

私はこの年、悟り、解脱を目指し
尊師の提唱する救済活動のお手伝いをするために出家する。

私が生まれてきた意味がこれなのだと確信していた。

ポアの間修行

出家して間もなく、印刷班に配属となり
しばらくしてサマナ(出家修行者)にポアの間修行が課せられた。

それは畳一畳ほどの個室に入り
外から鍵が掛けられテレビモニターから
麻原氏の説法ビデオが24時間ずっと流される内容である。
(内部からは電源が消せないようになっている)

1週間は外に出られないのでオマルが用意され食物は小窓から受け取る。

睡眠中も説法を聞くのは潜在意識にデータが入り
修行が進みやすいというその効果を生かす修行であるようだ。

1週間後、ポアの間から出される。

印刷所の立ち上げで同じグループに
科学班の故村井氏もいた。

長い間ずっと暗い部屋にいたため
外の光がやたら眩しく感じる。
そしてワークの日々に戻っていく。

サマナには休息はなく、自由時間もなく、
恋愛やオウム食以外の食べ物も許されない。

それらが戒律とされていてそれを破る者は罰則すら行われた。

ひたすらグルを仰ぎ、功徳を積むために
全力でワークに励むことが最短の解脱への道である。

私たちサマナは自らが悟ることで
人類の救済となると信じていた。

麻原氏が提唱する3万人のブッダの一人となり
ハルマゲドンを回避させる使命感を持って。

ビニール囲いのシェルター

オウムの救済活動とは全人類を真理に結びつけ
高い世界に転生させる事である。

1990年2月、尊師はより救済活動を進めるために、
真理党を立ち上げ衆議院選に立候補した。

しかし、選挙活動の甲斐も無くあっけなく惨敗した。

そしてこの年、尊師は
説法でオースチン彗星接近による大災害を予言し
突然サマナと信徒を石垣島へ大移動させた。

日本の都市部での大災害を逃れての事と思ったが
石垣島へ着いたかと思うとすぐさま元の場所へ帰る指示があった。

サマナや信徒らも狐に摘まれたような
思いの扱いのされ方だった。

帰ると富士道場等の内部をビニール貼りのシェルター化の作業が待っていた。

だが予言された期日に災害等は何も起こらず、
尊師の予言がはずれたのだと思った。

その後、しばらく東京には行くなという内部通達。
科学班の秘密ワークって言葉がサマナの間で囁かれた。

私は他のサマナ同様、首を傾げていた。

実験室

富士道場のシェルター造りと並行して
1階の食堂が化学班の実験室に改装されていた。

ドアは道場2階のシェルター同様に
潜水艦のハッチの二重扉となっており
白衣をきた化学班のサマナが出入りしている。

それは救済にとって重要なワークであると他のサマナから伝え聞いた。
救済活動が化学とは無縁と思えたのでまた私は首を傾げた。

謎のプレハブ

この年からオウムは上九一色村に施設をかまえるようになる。
そこは富士総本部道場から1時間くらいの距離にある。

ある日、科学班のプレハブに某師が東京で買った部品を届けに行く。
マンジュシュリー大師(故村井氏)に届けるのだそうだ。

戻ってきた師はプレハブを見ながら呟いた。

「尊師もすごいこと考えるよ。
さすが最終解脱者だ。
これで日本の歴史が変わるぞ」

その時は私にはその言葉の意味がさっぱり分からなかった。
その言葉の意味が心に閃いたのはそれから3年後のことである。

キリストのイニシエーション

1994年6月、
サマナ全員に効果的なイニシエーションが執り行われる。

サマナは何も内容を知らされずに
イニシエーションの順番を待った。

尊師から渡されるワイングラスに
微妙に入れられた黄色い液体。

苦みを伴ったパイナップルの味がする。

飲み干すとすぐに一人一人個室に入れられた。

そして、シールドルームと呼ばれる
壁全面に鉄板を貼られた個室に入り
8時間の瞑想修行となる。

しかし、特に修行プログラムは
言い渡されていないので
効果的なイニシエーションらしいが
個室に入るだけかと少し呆気にとられていた。

30分くらいたった時、めまいがしてきて
徐々に体の力が抜けていった。

めまいは治まるどころかろれつもまわらない状態になり
慌てて担当者を呼んだ。

意識がもうろうとする中
クリシュナ・ナンダ師(林郁男被告)が
ドア向こうにいたのが見えた。

私は気分が悪いと話したのだが、
特に心配することは無く

「これがイニシエーションの効果です。
これから過去に行っていろいろ体験するから覚えて帰ってきなさい」

と言うとゆっくりとドアを閉めてしまった。

天井の明かりは消えたようだ。
身体がぶよぶよに溶けていく感じがする。

幾何学模様が沢山うごめいている。
様々な感情の波が押し寄せる。

まるで果てしない心の旅をしているようだ。

自分の身体が宇宙大に膨れ上がるような感覚。
私はいろんな人格になって暴れ出したり、大声で笑ったり・・・

途中で取り押さえられたらしく
縄で手足を縛られているのに気づく。

ドアにタックルして外に出ようとして、
担当の女性サマナが来て注意された。

個室に入って8時間くらいたっていた。

その後、同じイニシエーションを受けたサマナの一人が
あれはLSDではないかと話していた。

しかも相当量のらしい。

神秘体験なら私もいくらかはあるのだが、
今回のはそういう類のものでは無いという気分だ。

内側では無く、外から遺物が入ってきたような・・・

薬と思っても不思議では無かったが
そばにいたサマナが薬だなんて思うのは
尊師への冒涜だと言いはっていた。

戦慄の裏ワーク

1994年、この年私は科学班に移動になり、
師のステージに昇格され、裏ワークに配属となる。

よく裏ワークという言葉を聞いてはいたが
他部署にいた私はその実態を知るわけでは無い。

第7サティアン。

そのプロジェクトは最も秘密性が高く重要なワークと聞かせれ、
事実科学班のそうそうたるメンバーが顔を連ねていた。

巨大なプラントの正体は私には明かしてもらえなかった。

科学班になってからというもの、
嫌嫌着ていた作業着に防臭マスクにゴム手袋という
異様な姿で私は呟いた。

「俺は今、オウムの最前線に来ている」

と。

この第7サティアンで最も尊師が意思されるワークで
功徳を積むのはサマナにとって光栄なことと思う反面、
心は妙に冷めている。

強アルカリ水の水槽に溶けていく
蛾の死骸を見るのも嫌だが
ここにいるサマナは皆どんよりしているように見えた。

私が前々から師と尊敬していた彼らの何人もがだ。

第7サティアンの内部は非日常的な空間だ。

不気味な形をした反応釜。異様な悪臭。
錆びついた金属。

硫酸が水と反応して白い煙を発している。
床にこぼれた強アルカリは人の爪をも溶かす。

不気味に響く周期的な機械音は
このプラントの可動実験を行っているのだろうか。

ある日ここで死ぬ思いになった事がある。

プラント全体を白い煙が包み、
それを吸い込み息が苦しくなった。

逃げ遅れたら確実に死んでいると確信した苦しさだった。
私はこの場所が怖かった。

第7サティアンに隣接する
化学班施設クシティガルバ棟。

私は物を届けに1度だけここに入ったことがある。

試験管やビーカーみたいなものが
あったような気がする。
中のサマナは白衣を着ていた。

こんな光景どっかで見たと思い、
富士総本部の1階の研究室を思い出した。

化学好きのオウムのする事だと思うと
今さら不自然には思わないが。

新型サリン噴霧車

1995年3月、地下鉄サリン事件のオウム犯行説の噂話が
サマナたちの間で飛び交う中
教団施設に2000名を超える機動隊が周りを包囲した。

私は坂本弁護士事件と同様、とんだぬれぎぬだとか、
フリーメイソンの陰謀だとか思いオウム犯行説など信じなかった。
尊師が否定しているわけだし。

緊張状態が続く中、私は清流施設で1台のトラックの解体の作業にまわされる。

上からの急ぎだとかで師たちが大慌てで作業している。
私はトラックの内部を見て、急に妙な戦慄を覚えた。

私は自分のことをものすごく鈍感なタイプだと自称している。

しかし、鈍感な私でさえも気がついてしまったようだ。

トラックの内部は大きな金属製の水槽に煙突が取り付けられ
その煙突の先がトラックの天井から上に突き抜けていた。

その横に大型のコンピューターが備えており
さらに奥には制御モニターとオペレーター用の
椅子が据え付けられている。

その椅子には正大師と書かれた紙が貼られている。
正大師とは科学班最高責任者マンジュシュリー正大師(故村井氏)である。

私はその時それが気体噴霧装置であるという事を知った。

裏ワークの謎が解けてしまった。

「毒物を撒く・・・。
プラントや実験室やこんな車もあるわけだな。」

尊師のヴァジラヤーナ説法を思い出した。

「殺す事もまた救済・・」

今の悪業の多い人類はむしろ殺してあげたほうが
その人のためになると、教義にはある。

それにしてもこの裏ワークを知らされた師は
少しも憤りを感じなかったのだろうか?

信者にこのような事をさせていた麻原氏は女性の信者とは
性の儀式と言い、楽しんでいたのだがこの内容が気持ち悪すぎる。

麻原氏の女好きと性の儀式が鬼レベル

その異常性は彼の性的な行為が
最も異常性の高い行為としてインパクトが高い。

かなりの女性好きと言われる麻原彰晃は
教団内に独特のルールを作る。

教団の教義ではセックスは
破戒、邪悪なものと定義付けられていた。

全てが麻原彰晃絶対ルールの中
麻原彰晃だけは当然最終解説者として当然特別扱い。

他の信者にはこう規律を示していた。

配偶者や恋人意外との行為を禁止。
夫婦でも出家後は別々に住む。

そんな中、自分には驚愕の性の儀式を
持ち込んでいたのだから空いた口がふさがらない。

これはいかに麻原彰晃が神聖化していたのかの
象徴的なエピソードではあるが
彼は教団内で好みの女性、ただし25歳の女までで(処女を好む)の
ハーレムを作っていた。

関係を持った在家信者は100人以上と言われ
その人選は教団幹部らからの選びに選びぬかれた
女性のリストを挙げて審査までさえしていたという。

まずは教団幹部らが入団時に撮った写真から写真選考があり、
それらを通過(合格)した女性は麻原と初面談。

その後、性行為があり女性が処女の場合は
ターギニーなる愛人という特別待遇を与えていたらしい。

その他にも想像するだけで
おぞましい麻原の血を混ぜた水を信者に飲ませる。

しかも100万円らしい。

他にも女性の陰毛を集めて一人一人名前を書いた瓶に入れて保管し、
麻原の精液を飲ませていた。

また、女性信者にウンチをさせ、男性信者に食べさせた・・・
しかもちょこっとだけ食べたのではなく
結構な量を食べさせたとか、
本人がそっちの系が強く喜んで食べたとも・・・

そして麻原彰晃はかなり好き者故、
特徴の強いHな下着をお気に入りの女性(ターギニー)に履かせていたとか・・・

もう想像しただけで気分が悪くなるレベル。

でも麻原彰晃が絶対的神の存在だった在家信者にとっては
ターギニーだなんて夢の存在だったらしく、
いかに自分が麻原彰晃という神(ゴット)に
認められた女なのか~と鼻高々だったらしいですよ・・・

そこまで麻原彰晃に妄信してなかった信者は
麻原の好みではないショートカットにしていたらしいです。

麻原彰晃は25歳までの
若く美人でロングヘアーの女性が好みだったらしいです。

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