地下に造られた宗教的・歴史的建造物10選…
古代では地下深くへ降りれば神に近づけた…


地下につくられた宗教的・歴史的建造物10選…

古代では神に近づくために地中深くへ降りることが一般的だったという。

今回はアンダーグラウンドな怪しさ漂う地下にある
教会、寺院、神殿などの世界の建造物10選を紹介します。

1.ラリベラの岩窟教会群-エチオピア

通常、建物を建てるなら部品を積み上げるのが楽です。
その反対に岩を削って建物を削り出すという方法もあります。

それがこのラリベラの岩窟教会群。
各教会は岩を掘って作られたモノ構造です。

ラリベラには12世紀にラリベラ王が着手した一枚岩の教会が11棟あります。

イスラム教が中東を支配したことで
エチオピアのキリスト教徒にとって聖地巡礼は危険なものとなりました。

そこでラリベラは自身のエルサレムを作ることにしたのです。
教会群の1つにはアダムの墓、イエスの墓、キリスト降誕の小屋まであります。
伝説によると、教会群の建設は昼は数千の労働者が、
夜は天使が行なったという。

現在も使用されているが、一部は観光用に公開されています。

2.莫高窟-中国

敦煌はかつてシルクロードの主要な中継地でした。
数世紀をかけて街が発展し、街があるところには寺院が築かれてます。

莫高窟を掘って寺院を作ったのは中国最初期の仏教徒です。

建設は4世紀に始まり、現在492の豊かに装飾された石窟があります。
壁は宗教的、世俗的場面の両方が鮮やかに描かれ、
その様々な様式はシルクロードを行き交う人々に由来するものです。

ベゼクリク千仏洞の壁全体にはブッダのミニチュア彫刻が並んでいます。
仏教芸術のほかにもユダヤ教、キリスト教、マニ教との影響も見られます。

1900年、900年以上も封印されていた石窟が
発見され、大量の写本が出土しました。

この敦煌文献と呼ばれる写本の中には
これまで発見されたものとしては世界最古の印刷された文献もありました。

3.ハル・サフリエニの地下墳墓-マルタ

近代的な道具があったとしても
地下に墓地を作ることは容易な作業ではありません。

ここハル・サフリエニの地下墳墓を作った人たちは
紀元前2500年にそれを行いました。
道具は石と黒曜石と鹿のツノです。

数層に広がる墳墓は地上の寺院をモデルにしたようです。
周囲には見せかけの窓や扉が刻まれています。

天井は寺院の木製のそれを模して掘られています。
遺体は掘って作ったくぼみに安置されていたようです。
そして骨になるまで待ってから取り出して埋葬されました。

4.ミトラの神殿―イタリア


ローマは多神教だったために、
新しい神々や複数の神々を信仰することが許されていました。

1世紀、兵士たちの間で東方の神であるミトラ信仰が広まります。
その教義や儀式についてはほとんど知られていないが、
ミトラの神殿という地下寺院が残されています。

最も保存状態が良いものの1つは
ローマにあるキルクス・マクシムスという戦車競技場跡の下にあります。
浮き彫りのフリーズは、ミトラが牡牛を殺す場面を表しています。
同じような表現はローマ世界の至る所で見つかりました。
ミトラ信仰では牡牛供犠が行われていた可能性を示唆するものです。

5.シンカ・ベシェの寺院窟―ルーマニア

シンカ・ベシェの地下施設には
寺院窟、修道院、運命の寺院といったいくつかの呼び名があります。

建設された時期や建設者、その目的ははっきりとは分かっていません。
9つの部屋があり、うち2つは教会として利用されていたが、
壁にはダビデの星や太極図といった
キリスト教のものではないシンボルがあります。

シンボルを掘るために使われた道具の調査からは
寺院が2世紀に作られたことが判明しています。
だがその目的についてはいまだ推測の域を出ないそうです。

6.ヴィエリチカ岩塩坑:聖キンガ礼拝堂―ポーランド

13世紀、過酷な環境で働く鉱夫たちは藁にもすがる思いでした。
神に救いを求めるようになったのも当然です。

そして、ヴィエリチカ岩塩坑の鉱夫は岩塩から礼拝堂を作り上げました。
岩塩は少なくとも柔らかいという利点があったのです。

岩塩坑を掘り進めるうちに礼拝堂は破壊されたので
正確にいくつ存在したのかは不明。
だが聖キンガ礼拝堂という素晴らしいものが残されています。

伝説によると政略結婚に気乗りしない聖キンガはハンガリーで
婚約指輪を岩塩坑の中に投げ捨てた。
しかし、結局ポーランドへ王妃として嫁ぐことになります。

ある日、予感を感じて井戸を掘るように命じました。
すると水ではなく塩が発見され、
その中に捨てたはずの指輪が見つかったのだという。

その場所こそがヴィエリチカ岩塩坑でした。

7.シパキラの塩の大聖堂―コロンビア

シパキラの岩塩坑は紀元前5世紀から掘り続けられてきました。
そこにある礼拝堂はヴィエリチカと同じような理由で作られた。

しかし、塩から削り出した大聖堂ははるかにモダンです。
1990年代に改築されたからです。

地下150メートルまで潜り大聖堂へ行くと
いまだ塩を掘り続ける鉱夫たちの姿があります。

14ある礼拝堂それぞれには十字架の道行きを表す塩の像があります。
彫刻や壁はLEDライトで照らされ、光は塩の中に吸い込まれます。
現在も使用されているが、大聖堂は主に観光向けとなっている。

8.ダマヌールの寺院―イタリア

ダマヌールとはアルプスの麓にあるエコビレッジ共同体。
似たような場所は世界中にありますが、
人類の神殿はここにしかありません。

ダマヌールの設立者リベルト・アイラウドは
子どもの頃から幻視をするようになった。

大人になって、それを現実にする場所を探し始めました。
1978年、賛同者と一緒に地下寺院の建設を着工します。

しかし工事は正式な認可を得ることもなく極秘裏に行われていたため、
90年代にこれを察知した当局によって禁止されたこともありました。
現在では鏡の部屋、金属の部屋、球体の部屋といった
瞑想に使われるいくつもの部屋が存在します。

9.バトゥ洞窟―マレーシア

バトゥの寺院を訪れる巡礼者は272段の階段を登らねばならない。
山頂にある聖堂として使われる洞窟内部は天井まで30メートルもあります。

ヒンドゥー教最大の祭りタイプーサムでは
クアラルンプールからスカンダを信仰する者が巡礼に集まります。

信者はカヴァディという供物を担いで運ぶ。
印象的なのは頰、鼻、耳といった部分に針を通した苦行姿です。

皮膚にフックを引っ掛けている信者もいます。
頂上では僧侶が聖灰で巡礼者を祝福し、
それから色彩鮮やかな洞窟内へと入って行く。

10.ネアンデルタール人の洞窟―フランス

17万5,000年前、何者かがフランスのとある洞窟に足を踏み入れ、
暗闇の中を300メートルも奥へと進みました。

そこで鍾乳石や石筍を壊し、環状に並べました。
そのうち400個は同じような長さに砕かれています。
何者の仕業であろうとその正体は人間ではありません。

この構造物が置かれたのはヨーロッパに
現代人が到達する10万年も前のことです。
最も有力な説はネアンデルタール人が作ったとするものでした。

サークルの場所や限られた規模から生活スペースであったとは考え難い。
燃やされた骨の破片といった火が使われていた証拠は
人工的に着火させたものであることを示しています。

あなたにオススメの記事

⇒ 世界の地下住人の実態…漫画のような世界が現実に存在した…