ビートたけしが母親の葬式で号泣…
芸人で売れた途端に金を要求してきた本当の理由…
ビートたけしが芸人で売れるようになった途端、
母が会いに来るたび20万円、
30万円とお金を要求していたという。
「病院代をくれ」
「今までお前を育てた費用だから」
「水道の修理代をくれ」
教育熱心で優しかった頃の母と余りにも変わってしまった姿に
たけしさんも「因業ばばぁめ!」と悪態をついていたようです。
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子供の頃には「飯に金をかけるよりも参考書を買う」と言って
教育費のために生活費を削ることもあったようです。
とにかく教育熱心だった母の薫陶が功を奏し、
たけしさんの成績は優秀。
1965年(昭和40年)に高校を卒業し、
母親の薦めで明治大学工学部(後の理工学部)機械工学科に現役合格し入学しました。
しかし、大学での生活には適応できず五月病を患うような状況に。
そして大学2年の時には家出同然に一人暮らしを始め
新宿界隈で当ての無い日々を送るようになるのです。
そしてせっかく入学した大学は勝手に中退をしてしまったそうです。
中退後、アルバイトを転々としながら
フランス座、松竹演芸場などの舞台に出るようになるようになり
徐々に顔を知られるようになります。
そして、ついにはテレビに出演するようになり
人気を得るようになっていたのです。
現在では皆さんご存知の通り、
芸能界の枠を超えた世界のたけしとして大きな成功を得ます。
世間を騒がせたフライデー事件
そんな中、たけしさんが当時交際していたとされる女性のもとにフライデーの記者が取材に訪問。
その際に強引な手法をとったことや女性にケガを負わせてしまったことに激怒したたけしさんが
仲間を連れて出版社にのりこむ事件が発生!
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この事件はフライデー事件として
世間を巻き込む大きな問題になりました。
そんな時、たけしさんの母さきさんは
「あんなどうしようもないのは、死刑にでもしてください!」
と一喝。
その後話を聞いた、たけしさんは電話で
「なんてこというんだよ!」と怒りますが
「なに言ってんだい、ああでも言わなきゃ騒ぎがおさまらんでしょ」
と返答。
下手に「申し訳ない」と誤ってしまえば尚更叩かれる。
息子を思えばこそ、あえて攻撃する事で守った母の愛だったのです。
小遣いをせびる一方で時折母親らしい姿をみせる母、さきさん。
そんな母も病魔には勝てず、ある日入院してしまいます。
さきさんが亡くなる2年前の1997年。
売れた途端に金を要求してきた理由
たけしさんは92歳になり、
軽井沢の病院に入院していたさきさんをお見舞いに行きました。
この頃も、お見舞いに行くとさきさんは
「今度おまえが来るときは、あたしは名前が変わってんだ。
戒名がついているからさ。葬式は長野で出すから、おまえは焼香のだけ来りゃあいい」
と憎まれ口を叩いており、
まだまだ元気そうだなとたけしさんは思ったそうです。
しかし、その帰り際、たけしさんのお姉さんから
「たけしに渡してくれ」とさきさんに頼まれたと紙袋を受け取ります。
紙袋の中には、一冊の通帳が。
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通帳の中にはお母さんの年金から少しずつ出したお金と、
たけしさんに要求していたお金がそのまま入っていたのです!
1円も手をつけられていないその通帳は1000万円近くにもなっていたとか。
芸人というのは人気が無ければ無職同然になってしまう商売。
さきさんが心配していたのは
芸人はいつ収入がゼロになってもおかしくない職業にもかかわらず、
たけしさんは入ってくれば全部使ってしまうということだったようです。
の時たけしさんはお兄さん達から
「いつもオフクロはお前のことを心配している」と聞かされていたことを思い出しました。
自分が嫌われてまでも息子の将来を心配していたお母さん。
「子供の貧乏は親の責任」
「親の貧乏は子に連鎖する。それを断ち切るには教育しかない」
常日頃、武さんのお母さんが言っていた言葉だそうです。
貯金するだけでなく将来を考えるという教育の意味も込めて、
お母さんは武さんにお金を要求していたのかもしれません。
素晴らしいお母さんですね。
「親の心子知らず」とは良く言ったものです。
母親の葬式で号泣
1999年8月。
たけしさんの母親、さきさんがお亡くなりになりました。
さきさんが亡くなったお通夜の記者会見でたけしさんは
「かあちゃん……」と絶句し、体躯をふるわせて号泣します。
引用:https://www.youtube.com/watch?v=Umu76AmBnQE
たけしさんは今、自ら母のことが大好きだと公言しています。
「30歳を過ぎて親を許せない奴はバカだ」
![](https://i0.wp.com/kwsklife.com/wp-content/uploads/2017/05/vake.jpg?resize=470%2C323)
とも言っています。
自分に愛情と熱心な教育を与えた母の影響力はたけしさんにとって
とてつもなく大きなものだったのでしょう。