死刑執行人の残した死刑と死刑囚に関する記録…
知られざる真実が話題に…
死刑制度については賛否両論ありますが、
日本では死刑は認められていますね。
日本における死刑執行方法は絞首刑と定められていますが、
その裏には死刑執行人が存在します。
皆さんは彼らの気持ちが想像できますか?
例え凶悪犯であろうとも人の命を奪う作業を国に代わって行う
彼らの気持ちは私たちには想像することはできません。
彼らは一体何を思いながら生活しているのでしょう?
死刑執行人の残した死刑と死刑囚に関する記録を紹介します。
突然自分の中で何かが壊れた…
テキサス州にある刑務所で120回の死刑に立ち会ったというフレッド・アレンさん。
死刑囚が暴れないように押さえるつけるチームの一員でした。
なんでもないときに突然、自分の中でなにかがはじけて震えが止まらなくなった。
涙がとめどもなく流れて抑えることができない。
心の中のなにかが一気に噴き出して自分が関わった全ての死刑、死刑囚たちが突然、一気に目の前によみがえってきたんだ。
そう語るアレンさんはその後、執行人を辞めました。
匿名の看守が語る死刑囚の最後の瞬間
自分が死刑執行人であることも関わってきた死刑についても隠す人がいる事は仕方のないことですよね。
しかし、匿名で死刑の瞬間の話をしてくれる人もいます。
死刑囚の最後の瞬間はある者は祈り、
ある者は歌い、ある者は無実を訴えるといいます。
死刑囚の家族についても語ってくれた人もいます。
息子が死刑になるのを見ている母親の泣き叫ぶ声など聞いたことなどないだろう。
ほかにたとえようのない、それは恐ろしい叫び声なんだよ。
決して忘れることなどできない。
誰かがやらなくてはならない…
2000年以降、アラバマ州の刑務所で130以上の死刑執行に関わってきたディーンさん。
娘さんに「死刑ってなに?なにをするの?どうしてそんなことをするの?」とよく訊かれるそうでうが、
7歳児にそれを説明するは難しいと言います。
ぼくたちは皆、これは正しいことなのか?と思う。
だけど、もし自分たちがやらなくても誰かがこれをやらなければならない。
これは自分となんとか折り合いをつけていかなければならないひとつの役目なんだ。そこで淡々と仕事をこなしていくと
今度は”どうしてこのことで自分は悩まされないのだろう?”という複雑な気持ちになってくる。
死刑は客観的で冷静なプロセスである。
思考停止してでも誰かがその歯車にならなければならないのだ。
死刑は何の解決にもならないと悟った死刑執行人
イギリスでは現在死刑制度は廃止されましたが、
かつては存在していました。
父親も死刑執行人だったイギリス人のアルバート・ピエールポイントさん。
15年のキャリアの中で400人以上の死刑に関わってきた彼が自伝の中で死刑に対して語っています。
わたしは、死刑ではなんの解決にもならないという結論に達した。
死刑は、復讐してやりたいという根源的な欲望の古くさい遺物にすぎず、
復讐を実行する責任を簡単に他人に負わせてしまう。死刑につきまとう問題は誰に対しても死刑を望む人はいないが、
みんな死刑を執行しなければならない人間とは違うということだ。
死刑執行人になったことが最大のミス
ヴァージニア州で1982年から1999年まで死刑執行人を務め、
62人の死刑に関わったジェリー・ギブンズさん。
わたしがこれまで犯した最大のミスは死刑執行人という仕事に就いたことだ。
人生は短い。一日は24時間しかない。
死は必ず万人にやってくる。わざわざお互い殺し合う必要はない。
死刑の裏にはそれを執行する人たちのさまざまな苦悩があったのです。
執行人を務めている限り、自分の感情を深く追求することは
自分自身を傷つける事になるのかもしれませんね。