母が他界し家を飛び出しお金も尽きた私…
体を売ろうと30代の男性に声をかけると…


母が他界し家を飛び出しお金も尽きた私


私が高校生の時に、母親が亡くなってしまいました。

私の父は弱い人だったので苦しむ母から目を逸らし、
ほかに女を作って母が亡くなったら家を出ていった。

私は母もいなくなり、父もいなくなり、お金がなくなった。
そして生きていくために自分を売るしかないと考えたのだ。

父が女を作って家を出ていったとき

「高校卒業までは面倒をみる。
その後は自力で暮らしてくれ」

と言われた。

高校3年生の秋に私は一人暮らしを始めることになったのだ。

私の通っていた高校は進学校だったので
ほぼ100%の人が大学を目指していました。

しかし私だけ大学受験という目標が消えてしまった。

授業料、家賃、光熱費などは父が負担をしていたのですが、
生活費はもらえませんでした。

家を探しまくってもどこにもお金はありませんでした。
父が作った女は他の誰かの妻でした。

きっと慰謝料としてかなりのお金を失ったのだろう。

私は母の死から立ち直れておらず、
バイトと奨学金で進学をするということすら、
思いつかない世間知らずの娘だったと今考えると思います。

お金を送ってと父に連絡もしていませんでした。
それは父を憎みすぎて声を聞きたくなかったからです。

ただ、目先のお金がなく、
私はバイトを始めることにしました。

お小遣いを稼ぐバイトは、とても楽しかったのに
生活苦のために追い詰められてやるバイトは
ただただ苦しいだけでした。

心配してくれる友人もいましたし、大人の人もいました。

しかし、父の噂が広まっていき、
私は恥ずかしさと情けなさで
周りから距離を置くようになっていった。

年が明け、テレビではセンター試験の話題が出始めたころ、
私の心は折れました。

バイトに追われていたのですが、
なぜか惰性で勉強は続けていたのですが、
それを止めました。

年末年始はわずかなバイト代が出たので
私はそのまま家をでました。

3年生の登校日はほとんど通っていませんでした。
誰も心配しないし、探そうともしていないのですから・・・

遠い場所に逃げました。
それにしても、冬の家出というのは、かなり辛いですね。
怪しまれないようにネカフェを転々としていくうちに
お金はどんどん減っていきました。

30代の男性に目を付け声をかけると

ここで私は最悪な決心をします。
自分の体を売ろうと思ったのです。

町に行き、親切そうな人に声をかけることにしました。

しかし、なかなかよさそうな人が見つかりません。
ようやく優しそうな30代くらいの男性を見つけました。

声をかけようとすると、その前に男性と目が合った。

「何か?」

「あの・・・」

練習したはずなのに
そう簡単に『私と遊びませんか』、とは言えなかった。

その人は何かを察したようだった。
じろじろと見られてもしかしたら警察の人かもしれないと思いビクビクしていた。

「家出?」

と言われ、
静かに頷く私に、

「お金がない?」

と男性が聞いてくるのでまた頷いた。

「泊まるあては?」

と聞かれ、首を横に振る。
それから男性は少し考えこんで、こういった。

「一緒においで」

ついていくと、立派なマンションに着き、私は正直びっくりした。
エレベーターで上がり、男の人はただいまと言ってドアを開けた。
そして、私に「上がって」といったのだ。

すると、「おかえり」と若くて綺麗な女の人が出てきた。
まさか女性が家にいるとは思わなかったので
死ぬほどびっくりした記憶がある。

「あら、こちらは?」

「俺もよく知らん。家出してきて困ってるらしい」

「ええ? あら、それは、えっと、あ、とにかく上がってね」

この女性は男性の奥さんのようだった。
そして、先にお風呂に入ってと勧められた。
その間に夫婦で話し合いが行われていたようだった。

私がお風呂から出ると奥さんは落ち着いていて

「大変だったね。すぐご飯にするから」

と、微笑みかけてくれた。
まさか、こんな展開になるとは思ってもいなかったので
私は一気に不安から解消され安心した。

さらに夫婦は私に事情を聞かなかった。
ただ、黙っていたら怪しまれてしまうので
食後にお茶を飲んでいる時に私が自分から事情を説明することにした。

その間、2人から質問をされたりもしたが、
2人とも真剣に話を聞いてくれました。

奥さんは口に手をあながら「辛いわね」と涙声でいってくれました。
旦那さんも「辛いな、それ」といって黙ってしまいました。

私は思わず泣き出してしまい、
夫婦は私が泣き止むまでずっと待っていてくれました。

それから、私は覚悟を決めて、
旦那さんに援助を持ちかけようとしたことに対して、謝罪をしました。
信じてもらえる自信はなかったが、今回が初めてだったと強調した。
怖かったし、もう二度としないと夫婦の前で言った。

すると奥さんは

「ああ、そういうことか」

と旦那さんの方をちらっと見て笑っていた。

「行為してたら旦那とあなたをグーで殴るとこだった」
「もうこんなこと考えるのもだめ」

と奥さんは優しく諭してくれました。
怒られることはありませんでした。

私は2人の前で「ごめんなさい」と繰り返して、また泣きました。
この夫婦は旦那さんは30歳で奥さんは24歳の新婚さんでした。

「落ち着くまで泊まっていくといい」

と言ってくれたので
私はお言葉に甘えることになりました。

そして翌日には学校の先生に連絡をしてくれました。

「そうですか、よろしくっていわれたよ。冷たいもんだな」

と旦那さんは苦笑いをしていましたが、
騒ぎになっていなくてホッとした。

「のんびりしててね」

と言われたのは、
数日はそうしていました。
しかし、いつまでも何もしないのは申し訳ない。

ということで奥さんの家事を手伝わせてもらう事にしました。

奥さんは優しくて明るくて
私は姉ができたような気がしてうれしかった。

2人並んで旦那さんに

「いってらっしゃい」
「おかえりなさい」

というような生活がスタートした。

それを見て旦那さんは不思議な光景だなと言って、笑っていた。
ご夫婦に相談に乗ってもらいながら今後のことについて話をした。

「地元が嫌ならこっちで職探ししたら?
こうなったら最後まで協力するよ」

そう言ってくれたので、
そうしますとお願いをして卒業式に出るために一度だけ帰宅をしました。

そして、お寺に行き母のお墓の供養を頼んでおいた。
卒業式のあとは、安い菓子折りを持って近所、学校の先生、
友人の家などにあいさつ回りをしておいた。

父には

「○○で働きます。引っ越すので後始末よろしく」

とだけ連絡をしています。

これは全部、旦那さんのアドバイスに従ったことです。

「それでいい。けじめは大事だよ」

と旦那さんに言われたのです。

父からは卒業祝いなのか、手切れ金なのか、
いくらかお金が振り込まれていました。
今さらと思い、腹が立ったのを覚えています。

それに対しても旦那さんから、
無視されるよりましだと考えたらと慰められました。
結局そのお金で引っ越しをすることができました。

そして私はご夫婦の近所のアパートを紹介してもらいました。
かなり心苦しかったのですが、
お金を借りて敷金と礼金を払わせてもらいました。

それから、アルバイトはすぐ見つかりました。
バイトをしながら正社員を探すという日がスタートしました。
最初は疲れていたので、ご夫婦の世話になりっぱなしでした。

奥さんが色々と持ってきてくれたりして、
2週間くらい経った頃にようやく体が慣れてきて、
自活できるようになりました。

今はある会社で経理事務をやっています。
節約をすれば貯金もできますし、ちゃんと生活をすることができています。

正社員として仕事が決まったときにご夫婦はすごく喜んでくれました。

「娘が独立したみたいだ」

と旦那さんは笑ってくれました。
すると奥さんが「妹でしょ」と笑っていました。

「俺が12歳のときにできた娘」

と旦那さんが言ってくれた。
年齢で言ったらそうなるかな。

ご夫婦に借りたお金も少しずつ返せていますが、まだ先は長いです。
それにしても、なぜこんなに親切にしてくれるのか?と
気になって聞いたことがありました。すると・・・

「たまたまだよ」
「誰でも助けるかというとそうじゃないが。でも放っとけない」

実はこのご夫婦もあまり良い家庭環境ではなかったそうで、
旦那さんと奥さんはそういった部分で意気投合して
温かい家庭を作ろうという事で奥さんが卒業をしてすぐに結婚したそうです。

「そうは見えません。奥さんはずっと幸せに育ったお嬢様みたい」

と私がいうと

「あら嬉しいことを」

と奥さんは笑ってくれた。
そして

「俺のおかげだな」

と旦那さんが笑った。

「でもね、きみには悪いけど、俺たち、きみ以上にきみのお父さんを嫌いかもしれないよ」「子供捨てるような親はね、大嫌いなんだ」

と旦那さんがいっていた。
奥さんは頷いて私を見て「ごめんね」と言った。

今でもたまにご夫婦の家に遊びに行っています。
仲良しのご夫婦を見るのが好きなんです。

私の両親も昔はこうだったのかなと思うと、とてもつらくなります。

しかし、私はこの夫婦のおかげで
将来は温かい家庭を持ちたいなと思う事ができました。

母が亡くなり、父もどこかへ行ってしまった・・・
しかし、その代わりなのか、6歳年上のお姉さんができました。

そして、12歳年上のお父さんもできました。

ネットでの反応

・食べる物がなかったら飲食店で働くといいですよ。
まかないで食事出ますし、その時まかないの量を決めれるのですよ。
あえて多い量を注文するんです。
ここで家から持ってきたタッパーが大活躍です。
一食分持って帰れます。
これからバイト始めようと思っている方どうか実践してみてください。
私はこれで学生時代の食料困難を解決しました。

・僕もこんな親切なことができる人間になりたいと思いました。

・泣けてくる。なんで、女の子がこんな辛い思いをしなきゃいけないんだよ!
幸せになって欲しいな。

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