かつて神童と呼ばれたマッドサイエンティストの男…
彼の行っていた実験に鳥肌が止まらない…



天才は一歩踏み間違えると危険・・・

かつて神童とまで呼ばれた男がマッドサイエンティストになって行っていた
狂気に溢れた実験について紹介します。

神童と呼ばれたマッドサイエンティストの男

神童と呼ばれたロバート・E・コーニッシュ博士は
18歳で米カリフォルニア大学バークレー校を卒業、
20歳で博士号を取得した、かつて神童と呼ばれた人物。

彼は1930年代に臨床死した犬を蘇生させる実験を行った人物として知られています。

しかし、彼は人間に対しても同様の実験を試したいと望んでいました。

そして、ある死刑囚が志願してきたため、
カリフォルニア州に蘇生実験の許可を求めて掛け合ったのです。

コーニッシュ博士の犬を実験台としたその内容を聞けば、
愛犬家は思わずすくみ上がるでしょう。

犬を窒息させて臨床死させ、その屍体をシーソーの上に置き、
このシーソーは血流を保つために繰り返し揺らされています。

博士は1934年と35年に臨床死した犬の蘇生に2回成功させたと博士は報告してています。

さらに35年には処刑された死刑囚の蘇生を試したい旨の発表をしました。

これに対してカリフォルニア州にある
サン・クエンティン州立刑務所に収監されていたトーマス・マクモニグルが名乗り出ました。

トーマス・マクモニグルという一人の怪物

死刑囚トーマス・H・マクモニグル(右)
ロバート・コーニッシュ博士(左)

マクモニグルは本物の怪物だったのかもしれません。

彼は当時14歳のソラ・チェンバレンを誘拐し、殺害したのです(少女の遺体はいまだに発見されていない)。

また、別の殺人についても自白したと言われています。

1947年、コーニッシュ博士はカリフォルニア州更正課に赴き、
この囚人がガス室送りになった後、蘇生実験を実施させて欲しいと自ら請願しました。

当時、サン・クエンティンの刑務所長であったクリントン・ダフィーは
処刑後にガス室の換気が済むまで30分かかるうえ、
安全のために遺体は最低1時間はガス室に放置されることを理由に
コーニッシュ博士の要請を却下しました。

しかし、これで引き下がる博士ではありませんでした。

彼はダフィーの決定を控訴し、自らの理論を証明するために
サン・クエンティン刑務所のものを模したガス室で羊を殺し、
これの蘇生にも成功していると述べました。

それでも、ダフィーの決定が覆ることはなく、カリフォルニアの裁判所も同様でした。

1948年2月20日、マクモニグルは蘇生の望みを断たれたまま、
ガス室へと足を踏み入れました。

もしも実験が成功していたら??

仮にこれにコーニッシュ博士が立ち会って、
マクモニグルの蘇生に成功したとすればどうなるのでしょうか?

彼はガス室で処刑され、自らに科された刑を全うしたのだから、
州には釈放する義務が生じたのでしょうか?

コーニッシュ博士の要請が最終的に却下された理由は
実験が成功してしまうとマクモニグルを釈放しなければならなくなる、
カリフォルニア州が恐れたからではないかと推測する向きもあります。

これについてはまだ確認がとれていないが、
一部始終が書かれた新聞記事が発見されています。

1947年3月14日付のサンマテオ・タイムズ紙によれば
マクモニグルはまだ公判が行われていない2件目の殺人について自白しているのだから、
実験後に自由になることはないとコーニッシュ博士は主張していました。

しかし、その数ヶ月後、タスカルーズ・ニューズ紙に対して、
「弁護士から囚人が蘇生すれば、法的には自由になると言われた」と語っています。

蘇りへ対しての異常なまでの執着

フランク・スウェインは『ゾンビの作り方(How to Make a Zombie)』という著作の中で
死刑囚の蘇生実験の許可を求めた科学者はコーニッシュが最初ではないと指摘しています。

ガス室の発明者デロス・A・ターナー少佐が
1924年にガス室送りとなった最初の死刑囚ジー・ジョンの蘇生実験の許可をネバダ州に求めていました。

もちろん、ターナーの動機はかなり異なります。

彼はガス室で処刑された囚人が生き返らないことを公表したかったのです。

しかし、ネバダ州はこの申請を却下しています。

このような常人とは頭の作りが違う天才たちには
私たちとは違った世界が見えているのでしょう。

彼は蘇りに対する執着は確かに異常だったのかもしれませんが、
仮に彼が実験をし成功させていれば
現代の医学にとんでもない功績を作っていたにすぎません。

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