1914年に開業した東京駅。
激動の時代に首都・東京の玄関口として
機能してきたので当然のごとく多くの歴史が刻まれています。

今回はそんな東京駅の床にある謎のマークについて紹介します。


東京駅の床にあるマーク


東京駅は各方面の新幹線が集結している玄関口。
東京の様々な路線が乗り入れ、路線数は日本一を誇ります。

復原工事やライトアップで何かと話題になることの多い
東京駅の丸の内駅舎。

そんな東京駅にとあるマークがあることをご存知でしょうか。

東京駅の床にある謎のマークの意味

プレートと床面に埋め込まれたマーク。
とある場所に不思議なマークが埋め込まれています。
実はこれはかつて歴史が動いた場所だったのです。

マークが埋め込まれた場所は2つあります。

1つ目のマークの意味

まず1つ目は
第27代内閣総理大臣 濱口雄幸首相の襲撃された地点を示しています。
濱口首相が銃撃を受け暗殺された場所だったんです。

付近の柱には事件を説明するプレートも設置されています。

昭和5年11月14日午前8時58分、
内閣総理大臣濱口雄幸は岡山県下の陸軍特別大演習参観のため
午前9時発の特急「つばめ」号の1等車に向けてプラットフォームを歩いていた。

この時、一発の銃声がおこり腹部をおさえてうずくまった。

駆けつけた医師の手によって応急処置が加えられ
東京帝国大学医学部付属病院で手術を受け
一時は快方に向かったが、
翌昭和6年8月26日に死去した。

犯人は立憲民主党の濱口内閣が
ロンドン条約批准問題などで軍部の圧力に
抵抗したことに不満を抱き、凶行に及んだものと言われている。

濱口首相は「ライオン宰相」と呼ばれ人気も高く、
気骨ある政治家で平和主義者であった。

謹厳実直さも相まって強烈な存在感を示しつつも
大衆も親しまれた首相。

濱口は国の経済再建と軍縮実現のため
金解禁に命を懸けた。

2つ目のマークの意味

2つ目は東京駅丸の内南口改札近くにある。

床面には円の内部に6角形という形をしたマークが埋め込まれています。
丸の内南口改札外の切符売り場付近です。
改札の外にあるため簡単に立ち寄ることができます。

ここは原敬首相が襲撃された場所を示すマークです。
丸の内南口の「原首相遭難現場」がそれです。

ここが襲撃現場であったことを記録されており、
そのすぐそばの壁に「原首相遭難現場」の掲示板が設置されています。

大正10年11月4日午後7時20分
内閣総理大臣原敬は京都で開かれる政友会京都支部大会に赴くため
丸の内南口の改札口に向かっていた。

その時、一人の青年が飛び出してきて
案内に当たっていた高橋善一駅長(初代)の肩をかすめ
いきなり刃わたり5寸の短刀で原首相の右胸部を刺した。

原首相はその場に倒れ、駅長室で手当てを受けたが
すでに絶命していた。

犯人は原首相の率いる政友会内閣の強引な施策に不満を抱いて
凶行に及んだと供述し、背後関係は不明であった。

これらは歴史を風化させてはならないという狙いがあるそうです。

国権の長がテロにあうという事件を
当時の国鉄は風化させないようにと現場床にマークを埋め
銘板を掲げて知らしめています。

これ以上、悲劇を繰り返さないよう
当時の駅長の発案で事件現場となったタイルを
後世に残すことにしたという。

現代では犯罪の掃討する行為であっても
それが古い時代の出来事であれば社会がたどってきた道を
振り返るよりどころとなりるのかもしれません。

ネットでの反応

・その時代も首相のボディーガードいたんだろうけど、少なかったのかな?

・ちなみに浜口雄幸は無理を押して衆議院に出席して死期を早めたのですが、
その時執拗に登壇要求をしたのは鳩山一郎です

・確かこの時期の政治家は非常に無能で、殺されても仕方なかったような…

・軍縮条約も金解禁も共にこの阿国にとって
致命傷になる売国条約だったことに鑑みて浜口は民主党、
鳩山or空き缶並みの売国奴だったことは確実
無関係の民間人を巻き添えにしたサヨク基地外の無差別テロとは決定的に違う

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