25歳で死刑となった山地悠紀夫の生い立ち…
人生が悲惨すぎると話題に…
凶悪殺人犯「山地悠紀夫」
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山地悠紀夫は16歳の時に自身の母親を
22歳の時に女性を2名殺害した死刑囚です。
2つの事件「大阪姉妹殺害事件」、
「山口母親殺害事件」を起こしました。
彼の語った言葉は
今でも有名で今でも世に残っています。
「母親を殺したときの感覚が忘れられず、人の血を見たくなった」
「ふらっと買い物に行くように、ふらっと人を殺しに行ったのです」
「人を殺す事と物を壊す事は全く同じ事」
「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。
人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい」
山地悠紀夫の生い立ち
父親は様々な職を渡り歩いていたが、
酒癖が悪くしばしば妻や少年に対し暴力を振るっていた。
小学5年生時に父親は肝硬変(アルコール中毒)で死亡。
少年は小中学校とイジメられ、「悪魔」と呼ばれたりしていた。
中学2年の頃から不登校気味となり、
中学3年には3分の2近くを欠席し、修学旅行欠席。
母親には買物依存症など
様々な借金(500万~1000万円程度詳細不明)があり、
借金取り立てに迫られたり、家賃や水道料金を滞納していた。
生活保護も申し込んだが認可されなかった。
少年は進学できず中卒で、しばらく就職先が見つからなかったが、
知人の紹介で新聞販売店で働き始めた。
収入約9万円のうち半額を家に入れていたようである。
母親には再婚話が浮上。
少年は、「俺は邪魔」と一人暮らしを計画。
その最中、少年が交際したいと考えていた女性の携帯電話に
母親が無言電話をかけていたことが判明した。
少年は母親に勝手に無言電話したことを問いただしたが認めず、
母親が少年に対し「出て行け」などと言ったことに腹を立て、
借金の事も絡んで口論となり、頭に血が上った少年は
金属バットで母親の頭と顔と胸などを殴り倒し母親を滅多打ちにし殺害した。
その後、少年院出所後の2005年2月ごろから、
パチスロ機を不正操作しコインを盗むグループに加わるが
(少年は、ゴト師グループとして窃盗事件で逮捕され起訴猶予処分で釈放)、
グループが福岡から大阪に活動拠点を移した同年11月には稼ぎが上がらず、
「離脱したい」(役に立たず追い出された説もある)旨を仲間に伝え、
活動拠点のマンションから外に出た。
離脱後、近くの境内や公園などに野宿をしていた。
「何のために生まれてきたのか、答えが見つからない。
人を殺すため。もっとしっくりくる答えがあるのだろうか。ばく然と人を殺したい」
山地悠紀夫はこう語っています。
これは彼の人生が何の希望もないものだったからという思考のもとでしょう。
殺害後の死体処理も雑で「バレてもいい」ような方法でした。
山地悠紀夫の目的
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彼は裁判の時にこう語りました。
「私が今思う事はただ一つ、
『私は生まれてくるべきではなかった』という事です。
今回、前回の事件を起こす起こさないではなく、
『生』そのものが、あるべきではなかったと思っております。」
彼は自分自身に死刑を望んでいました。
死刑か終身刑、それ以外はしてほしくないと。
実際3年後、2009年に死刑執行されました。享年は25歳。
彼は自分自身の人生にサヨナラをする「自殺志願者」だったのでしょう。
さらに何も希望のない人生だったからこそ
最後に「やりたいこと」だけをやって終わらせるということだったのかもしれません。
もちろん彼のしたことに正当性なんてありませんし、
同情の余地はありません。
ただ、彼の育ってきた環境は悲惨そのものです。
こういった人生に憐れみを感じずにはいられません。