ビートたけし娘・北野井子の現在
消えた理由は超大物歌手だった?



業界激震!?マジガチランキング(AbemaTV)で
「親の名前がないと成功できなかったと思う二世タレントランキング」
発表され、話題となっている。

しかし、ランキングに食い込んだのは
現在もテレビで活躍するタレントのみ。

実際は人々の記憶から消し去られた七光りタレントも数多く存在する。

世界のキタノと呼ばれ、
映画監督や作家としても活躍する大御所タレント、
ビートたけしの娘がタレントとして活動していたことをご存知だろうか。

今回はそんなビートたけし娘・北野井子を紹介します。

北野井子のプロフィール

名前:北野 井子(きたの しょうこ)
別名:松田 井子(まつい しょうこ)
誕生日:1982年10月5日
出身地:東京都
父:ビートたけし
母:北野幹子

ビートたけし娘・北野井子の消えた理由

北野井子は母親との喧嘩が絶えなくて
けがをするほど激しい喧嘩をしており、
このままではどちらかが死んでしまうとの心配で
ビートたけしが母と娘を離すために自分の映画HANABIに出演させました。

それが、北野井子にとっては突然の映画デビューでした。

北野井子はその後、
歌手になりたいと父親にせがみ、歌手デビューします

1997年、北野井子として
X JAPANのYOSHIKIプロデュースで華々しくデビューを飾ったのだ。

引用:https://youtu.be/M9e796iWYqk

こちらが北野井子さんのデビューシングル「Begin」です。

XJAPANのYOSHIKIさんプロデュース、楽曲提供を行っているという事もあり、
ロック色の強い楽曲になっています。

当初はたけしの娘ということで注目を集め、
歌番組やCMと多忙を極めていたが、
その後米国留学を理由に芸能界から姿を消した

歌手デビューをした後、比較的早い段階で休業してしまいましたが、
映像を見る限りでは本人も歌いながら頻繁に笑顔を見せているので、
歌う事自体が苦痛であったり、テレビに映る事がイヤな様には見えないので
そういった事が休業の原因ではないでしょう。

当時をよく知る芸能関係者はこう話す。

「北野井子のデビューから半年後、藤圭子の娘である
宇多田ヒカルが彗星の如く現れ
一気に話題をさらわれてしまったんです。

宇多田は16歳で作詞作曲の実力に加え、桁違いの歌唱力を兼ね揃えていたため、
北野は勝ち目ナシと判断し、芸能界を引退したのかもしれません」

たけしの娘の肩書きを持ってしても、
芸能界で生き残ることは容易ではなかったかようだ。

北野井子さんの現在

北野井子さんの現在の活動に関しては
映画「有限会社ひきもどし」にて自身初の主役を演じますが、
その後目立った活動に関してはありません。

現在芸能界には二世タレントが多くいますが
ビートたけしさんという父がありながら、芸能活動で表立って目立っていないというのは
どういった理由があるのでしょうか?

そもそも北野井子さんのデビューの経緯は
家庭の事情によるものと言われています。

当時当時反抗期のまっただ中だった北野井子さんは母親、
北野幹子さんとのケンカが絶えなかったそうです。

しまいには流血騒ぎになる程のケンカにまで発展し、
それを知ったビートたけしさんはこのままではいけないと思い、
北野井子さんの環境を変える為、芸能界入りさせました。

デビュー当時は北野井子さんが歌手になりたいと
たけしさんに訴えたという事になっていましたが、
真相は北野井子さんの環境を変える為でした。

しかし北野井子さんは父親の七光りから
曲を貰える事などに萎縮してしまい、
早々と芸能活動を休業。

休業後は米国の高校に留学し、
そこでまた音楽を学ぶ事で芸能界に復帰しようと考え
たけしさんに打診するものの、
そこでは甘やかす事なく

「自分で何とかしろ」

と突き放し映画への出演などに関しても

「オーデイションでも受けて実力で勝ち取れ」

と厳しい言葉で返したそうです。

デビューに関しては親という立場から甘やかす部分もありましたが、
ビートたけしさん自身も苦労して這い上がってきた人なので、
ある程度北野井子さんが大人になった今では
甘やかす事なく芸能界の厳しさを感じさせているのでしょう。

ネットでの反応

・お笑いタレントの娘が歌で成功するわけねえわ

・2世はきついだろ
親が能あっても引き継がれないし

・潔く去っただけまともだったかもな

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