妹を溺愛していた父が亡くなった…
葬儀の時、ファザコンだった妹が不気味に笑っていた理由…


妹を溺愛していた父が亡くなった


4年くらい前のことなのだが、
父が肺がんで亡くなってしまいました。

過労やストレスなどもあって、
余命半年と言われていたところ2か月で亡くなりました。

父はとっても子煩悩だったので、
遅くにできた末の妹をとっても可愛がっていました。

そして末の妹も極度のファザコンと言えるくらいに
父にべったりしていました。

「いつも笑い顔でいろ」と言う父の言葉を体現するかのように

妹は太陽のように明るい笑顔。

生まれた時から、妹は内臓に疾患があって
病弱だったけど父はそれでも大変可愛がってました。

父が倒れてから妹は東京での仕事を辞めて帰郷し、
付きっ切りで看病しました。

変わり果てた父の傍で妹はいつも
手を握って話しかけて居ました。

「父ちゃん、あれ(テレビに映ってる食べ物)美味しそうだね、
父ちゃん早く治ってよ。

兄ちゃんに連れてってもらおう」

笑顔でうなずく父。

「父ちゃん、父ちゃんが知らない美味しいお酒、
いっぱい私知ってるよ。

父ちゃんへのお土産にも買ってきたよ。

だからね、父ちゃん、一緒に飲もうね。
おうち帰って、一緒に飲もうね。

父ちゃんの好きなレバニラとか塩ホルモンも食べようよ」

酒好きの父の影響は俺と妹にも受け継がれています。
酒の話をすればとてもうれしそうになる父でした。

思い出の曲を静かに歌う妹とその歌声に耳を傾ける父。

「お馬の親子」という曲は
父がまだ幼かった妹を背中に乗せて歌っていたのです。

散歩に出かけた時も
手をつなぎながらいつも一緒に歌っていました。

父が携帯電話を持った時、
妹は父からの着信音を「お馬の親子」にしていたくらいです。

父が亡くなった日の夕方に、父は妹に「休め」と
口の動きで伝えていました。

それを見て、妹は渋っていたのですが、
父がしつこくいうので付き添いの人用の仮眠室に行ったそうです。

そして、父は亡くなってしまいました。

妹以外の家族と兄弟たちに見守られて旅立ちました。

仮眠室で眠っていた妹が起こされ、
父のそばに行くと手を握りながら大きな声で
10分くらい大泣きしていました。

病棟に響き渡る大声でしたが、
妹が父のことで泣いたのはそれっきりでした。

ファザコンだった妹が不気味に笑っていた理由

葬儀の最中は家族が悲しみに暮れて涙を流していたのですが、
妹はいつものように笑顔を見せていました。

母が「父さんがタヒんだのが悲しくないのか?!」と
妹に言っていたのですが、妹はただ笑うだけ。

親戚や近所の人は妹の頭がおかしくなったと思っていたようです。

そういえば、妹は昔からちょっと変わっていると
周りから言われるようなタイプではありました。

だからといって葬儀の時に
こんな態度になるのか?と思ったのだが・・・

それでも妹は気にすることなく、
葬儀の間ずっと笑顔で過ごしていました。

火葬も終わり、父の遺骨が家に帰ってきた日、
夕飯を食べ終わってから妹と伯父(父の兄)が
たばこを外で吸っている時にこんな会話をしており、
それが俺の部屋に聞こえてきた。

「おじちゃん、あのね。私、父ちゃん死んで嬉しいわけじゃないよ」

「解ってる。お前が一番悲しいの、おじちゃん解ってる」

「一番悲しいのは、母ちゃんだよ。兄ちゃん達も姉ちゃんも、みんな泣いてるのに、私涙でないの」

妹の優しさを耳にして、涙が出ました。

そして、妹につらく当りつづけている母に辟易したりもしました。

「あのね、父ちゃん死んじゃった時、私寝てたじゃん」

「うん、疲れてたんだな。2か月ろくに寝てなかっただろう」

「父ちゃんが寝ろって言ったの。でもね、変な夢見たの」

妹はこんな話をしていました。

妹が家の茶の間にいると
父が余所行きの姿をして大きなカバンを持って
「おう!行くからよ」と言って、玄関に向かったそうです。

妹が「どこにいくの」ときくと
「ちょっとよ~」といい、ニコッと笑ったそうです。

履きなれない革靴を履くのに手間取っていたので
妹は父がいつも履いていたサンダルを
ビニール袋に詰めて持たせたといいます。

「どこに行くか知らないけど、父ちゃんすぐ帰ってきてね」

「すぐには無理だなぁ。○○、いっつも笑ってるんだぞ。
笑ってれば良い事がたくさんあるからよ」

そう言って妹の頭を撫でると玄関から父は出て行ったのです。

家の前には大きなバスが止まっており、
たくさんの人が乗っていたといいます。

それは子供や大人・・・
しかし、そのバス中には、亡くなった祖母や
父の友人たちの姿もあったとか。

さらに運転手はずっと運転免許を欲しがっていた
母方の祖父だったそうです。

「おばあちゃんの隣にはね父ちゃんがメガネかけたような人がいたの」

「それ、お前たちのじいちゃんだよ。
そうか、そうか…迎えに来たのか」

そういって、伯父も涙を流していました。

きっと妹を可愛がっていた父が
ちょっとでも悲しみを和らげてあげたいと思って
見せてくれた姿だったのかもしれません。

それからしばらくして、
妹はまた上京をして仕事を再開しました。

大晦日も仕事をするくらいに忙しい職場でした。

それでも元旦の朝には
会社がお雑煮やお餅を振る舞ってくれたそうです。

そんな忙しい生活を送っていた妹。

寒空の下で仲間たちとお雑煮を食べながら談笑をしていました。

するとちょっと視線を移したときに
父がにっこりと笑って頷いていたそうです。

こんな感じで父は妹の所にちょくちょくやってきてくれるそうです。

俺はそんな話を聞くと
本当に父は死んだのか?と思ったりもします。

俺や別の兄弟の所には2回くらい現れてくれたのだが、
やっぱり妹のことが心配なんだろうな~。

もしも妹に何かありそうな時はきっと携帯電話から
「お馬の親子」が流れるといいます。

それは、父が危険を知らせてくれているとか。

父は妹の守護霊のようになって
見守っているんだろなと思います。

俺ももうすぐ父親になります!
俺の父みたいに優しくて強い父親になりたいと思っています。

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