市橋達也受刑者が獄中から恩師に手紙を送る…
その内容に衝撃を受ける…


市橋達也受刑者が起こした衝撃的な事件

その当時、同じマンションの住人だった人物はこう語ります。

ちょうど春休みのころ。
パトカーや救急車、マスコミがどっと押し寄せてきましてね。
ベランダに置いた浴槽に遺体を入れ、
土をかぶせていたというおぞましい事件でした。

2007年に千葉県市川市のマンションで
市橋達也受刑者が英会話学校の
英国人講師リンゼイ・アン・ホーカーさんを
殺害するという事件が起きました。

行方不明になっていたリンゼイさんを捜索していた警察官が、
市橋達也の自宅を訪れると、そのまま警察官を振り切って逃走し、
2年7か月も逃亡生活を続け、整形までして逮捕されました。

印象がとても悪かったので
マスコミは市橋達也をバッシングしていました。

ただ、市橋達也の大学時代の空手同好会顧問をしていた
本山直樹・名誉教授はこういった状況で逮捕されたとしても、
正当な裁判を受けさせることができないのでは?と案じていました。

そして本山教授は
「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」を発足したのです。
資金を募り国選弁護人ではなく、
私選弁護人をつけるために奮闘していたのです。

本山教授:
彼はおとなしくて目立たない学生でしたが、まじめでした。
練習も道場の掃除も、ほとんどさぼったことがないですよ。
それが殺人なんて、まさかの思いでした。

市橋の両親は岐阜で暮らしており、
両親ともに医師というエリート家系だそうです。
市橋本人も医師を志したのですが、結果的には断念をしています。
そして4浪して千葉大学園芸学部へ入学をしました。

本山教授:
卒業時に身の振り方を尋ねると
“僕はもっと上を目指して頑張ります”と。
米国の大学で専門だった緑地環境や
環境デザインを極めたいと考えたようです。

市橋は、独学で約2年かけて英語を勉強しました。
そんな市橋が暮らしていた3DKの自宅マンションは
親が所有するものだったので家賃はタダでした。

そして、月々15万円という仕送りを貰っており、
アルバイトはしていないので、楽をして生きてきたのです。

しかし、そんな生活をしていた市橋は試験に合格をしないという状態に陥り、
事件直前に父親からの仕送りがストップすると通告されていました。

本山教授:
それが相当なショックで事件の引き金になった、
精神的に不安定になっていたのではと私は考えています。

市橋達也が逮捕されてから、
本山教授が拘置所へ面会に行ったことがありました。

恩師に送った手紙の内容

本山教授:
“先生、私がやったことを許してくださいますか”といって、
涙をポロポロこぼしたんですよ。決して、ひどい人間ではないのです。
またある日、私が”なんでこんなことをやったのか”と聞くと、
無言でうつむいたまま、ただただ涙だけでした。
彼自身、まだ本当のところはわからないのかもしれないですね。

裁判では殺意の有無が争点になり、
11年7月に、千葉地裁は殺意があったとして無期懲役を言い渡しています。
12年4月、東京高裁は控訴を棄却しました。

本山教授:最高裁へ上告したほうがいいと助言したのですが、
“本当のことを言っても誰も信用してくれない”と諦めきった口調でした。
結局、上告しなかったので、刑が確定してしまったわけです。

しかも、これまでは手紙を交わしてきたのに
“今後は静かに罪を償っていきたい”と
どこの刑務所に服役しているのかも知らせてくれないのです。

本山教授は何ともやるせない表情を浮かべていました。

ちなみに市橋の両親は事件後に医師を辞めることになり、
結婚していた姉も離縁されたそうです。

これは市橋だけが悪かったのか?仕送りをし続け、
マンションに住まわせ、
市橋に間違った支援をし続けていた
両親にも問題があるように思えてなりません。

引用:http://www.jprime.jp/articles/-/6003

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