86歳の認知症の母親を54歳の息子が殺害・・・

2006年2月、京都市伏見区桂川河川敷で
無理心中とみられる事件が起こりました。

この事件の初公判は2月19日に行われたのですが、
そこで被告の話す無理心中を図った理由が世間を騒がしました。


河川敷で無理心中とみられる事件が発生

京都市伏見区桂川河川敷で2006年2月1日に
無職の片桐康晴被告が認知症の母親を殺害して
無理心中を図ったとみられる事件の初公判が行われました。

事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、
母と相談の上で殺害したというもの。

片桐被告は母を殺害した後、
自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めました。

片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。
その頃から母に認知症の症状が出始め、一人で介護をしてきました。

そして05年4月ごろから昼夜が逆転するような生活をする母。
深夜徘徊で警察に保護されるなど症状がどんどん進行していきます。

片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、
母親の介護に専念するために9月に退職。

生活保護は失業給付金などを理由に認められなかったそうです。

介護と両立する仕事は見つからず、
12月に失業保険の給付がストップ

カードローンの借り出しも限度額に達し、
デイケア費やアパート代が払えなくなり
06年1月31日に心中を決意しました。

法廷内が涙に包まれた事件の全貌

「最後の親孝行に」

片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、
2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で

「もう生きられへん。此処で終わりやで。」

などと言うと母は

「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」

と答えました。

片桐被告が「すまんな」と謝ると
母は「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけます。

すると母は

「康晴はわしの子や。わしがやったる」

と言ったそうです。
この言葉を聞いて片桐被告は殺害を決意。

事件に発展したのでした。そして、母の首を絞め殺害。

そして自分も包丁で首を切り自殺を図ったのでした。

冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向き、
肩を震わせ眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面も見受けられたそうです。

裁判の中で片桐被告は

「私の手は母を殺める(アヤめる)ための手だったのか」

と言葉を残した。
東尾裁判官は片桐被告に対し、

「尊い命を奪ったと言う結果は取り返しのつかない重大だが
経緯や被害者の心情を思うと、社会で生活し 自力で更生するなかで
冥福を祈らせる事が相当被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」

そして続いてこう言った

「…この裁判確定の日から3年間 その刑の執行を猶予する」

殺人(承諾殺人)で異例の執行猶予つきの判決を言い渡たされた。
そして被害者(お母さん)の心情に対し

「被害者は被告人に感謝こそすれ、決して恨みなど抱いておらず
今後は幸せな人生を歩んでいける事を望んでいるであろうと推察される」

判決の後、片桐被告に裁判長が

「絶対に自分で自分をあやめる事のないようにお母さんのためにも、幸せに生きてほしい」

と言われ、片桐被告は深々と頭を下げ

「ありがとうございました」

と言った。

片桐被告に言い渡した後に東尾裁判官はこう言葉を残した。

「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、
介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。
こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを
行政の関係者は考え直す余地がある。」

片桐被告は母思いで優しい息子でした。
母を殺めた時の彼を想像すると悲しくなります。

彼の母思いは母の介護をし、必死で働き先きを探すがみつからず、
お金がなく食事が底を付きそうになり、
それでも彼は母のために1日2食
自分は2日1食の生活をしていたそうです。

この事件の被告人への判決は
懲役2年6ヶ月、執行猶予3年だったのです。
あくまでも殺人ですから執行猶予つきは異例と言えるでしょう。

この男性のその後・・・

約8年、木材会社で働いていたそうですが、
13年2月、「会社をクビになった」と親族に伝えたのを最後に
連絡が取れなくなり、14年8月1日に琵琶湖大橋から湖に飛び降り、
遺体で見つかったそうです。

その後の8年もさぞかし辛く孤独な人生だったのではないでしょうか。

10年以上前のことですが、
現在同じような立場の方は増えているのではないかと思います。

ネットでの反応

・こんなの泣いてしまう

・悲しい事件だな

・涙、そして激しい怒り

・こういう人達にこそ国は支援をしてくれ

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