200人以上が殺された殺人ホテルの実態…
犯人のH・H・ホームズが恐ろしすぎる…
アメリカの犯罪史で最初のシリアルキラー
1800年代後半で世界を恐怖に陥れたホテル。
アメリカの犯罪史で最初のシリアルキラーとして知られている
H・H・ホームズが経営していた殺人ホテルです。
秘密の通路に恐ろしい仕掛けの数々…。
その経営者がヘンリー・ハワード・ホームズです。
自身の経営するホテルを殺害現場とし、
200人もの犠牲者を出した最低の殺人鬼。
1896年に35歳で死刑となりましたが、
未だ犯罪史上最悪と言われています。
実は彼が経営していたホテルには
全ての部屋が秘密の通路で繋がっていて、
覗き穴、隠し扉、ガス噴射装置等を完備しているのです。
ヘンリー・ハワード・ホームズとは?
そんなホテルを作り、経営していたホームズ。
本名はハーマン・ウェブスター・マジェット。
1860年にアメリカ・ニューハンプシャー州で
郵便局長の息子として生まれました。
農業で子供たちを養う両親は
敬虔なメソジスト(キリスト教の宗派)でしたが、
父親はアルコール依存症で酒に飲まれ、
頻繁に家族へ暴力を振るっていました。
さらにハーマンは通っていた学校で壮絶なイジメを受けており、
肉体的にも精神的にも逃げ場のない生き地獄の中で生きていました。
そんな中、彼の人生を大きく左右する出来事が起きたのです。
ある日、イジメっ子たちはハーマンを連れて地元の病院へ忍び込み、
そこで人体の骨格模型と対面させられ、
骨の手を顔面に乗せられたのです。
「最初はとても怖かった。
だけど、しばらくすると自分が人骨に興奮している事に気付いたんだ」
この体験がきっかけでハーマンは死について興味を覚えます。
そして、小心者のイジメられっ子は
人知れず動物の解剖を行うようになり、
屈折した欲求を満たしていったのです。
その後、ハーマンは16歳で高校を卒業し教師として働き始めました。
17歳の時にクララという女性と結婚し、息子のロバートも誕生。
幸せな結婚生活を送っていました。
やがて、ハーマンは教師の職を辞めて21歳で大学の医学部へ進学し、
1884年に医師免許を取得しました。
卒業するころには夫婦仲は冷え切っており、
妻と息子を見捨て各地を転々としながら犯罪に手を染めていくのです。
ハーマンがニューヨークへ移り住んだ時には
彼の下宿先の近くで少年が突然姿を消し、
フィラデルフィアに移住した後は薬局で働くが
そこで買った薬を飲んだ少年が突然死亡してしまいました。
その後、ハーマンはシカゴへと移住し、
自分へと疑いが向けられるのを避けるため、
名前をヘンリー・ハワード・ホームズに改名しています。
そして再び薬局で働きはじめ、
最終的に薬局を買い取り、自分の薬局を手に入れたのです。
その後、ホームズの薬局となった
お店の元女主人も謎の失踪をとげています…。
殺人ホテルを建設
そしてホームズは薬局の向かいに
巨大なゴシック調のホテルを建設しました。
それは地元住民からホームズ城と呼ばれるほど豪華なものでありました。
ホテルが完成した2年後にシカゴ万博が開催され、
その時は2700万人もの来場者が訪れ、
ホテルも大いに繁盛しました。
しかし、宿泊した多くの客が失踪する事件が起こります。
このホテルは彼は長年溜め込んでいた
殺人欲求を吐き出すための場所だったのです。
全ての部屋が迷路のような秘密の通路で繋がっていて、
覗き穴はもちろんスライドする扉も壁に仕掛けられていました。
密閉してガスを送り込み殺害できる部屋や
石綿で覆われていてその中で被害者に火を点けて
焼き殺せるようになっている部屋があったり…。
また、別の部屋は床が落とし穴になっており、
地下室に落下するようになっていました。
その地下室には拷問器具と外科手術用具が
山のように置いてあったと言います。
そこでホームズによって解剖された後に肉を削ぎ落とされ、
骨格標本して学校などへ売却されていたのです。
また削ぎ落とされた肉塊や内臓は高濃度の酸などで溶かされ、
証拠は跡形もなく消されていきました。
ホテルでの失踪者たちはもちろん
ホームズの手によって殺されたのです。
しかし明らかに殺された可能性は高いものの、
証拠自体はありませんでした。
ホームズの最後
半年にわたって開催されたシカゴ万博が終了すると
ホームズはあっさりとホテルに見切りをつけ、シカゴを離れます。
その後、彼はアメリカ・カナダを転々としながら
小さな詐欺を繰り返していましたが、
保険金目当てで子供を誘拐したことがきっかけで逮捕され、
そこからホテルでの大量殺人が明るみとなりました。
ホームズは自供では27人の殺害を認めていますが、
警察の捜査によると200人以上の人が犠牲になったと言われています。
その後、1896年5月7日にホームズの絞首刑が執行され、
アメリカ初のシリアル・キラーは
苦しむことなく35歳でこの世を去ったのでした。
もし、誘拐で捕まらなければ、
彼の殺人は明るみにでなかったかもしれませんね。