酒鬼薔薇聖斗の現在の画像…
現在も異常行動をしてるが結婚も子供もいる…


神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)とは?

事件の流れ

1997年(平成9年)2月10日午後4時
小学生の女児2人がゴムのショックレス・ハンマーで殴られ、1人が重傷を負う

3月16日午後0時25分
神戸市須磨区竜が台の公園で、小学4年生の女児を金槌で殴り殺害

午後0時35分
別の小学生3年生の女児の腹部を刃渡り13センチの小刀で刺して重傷を負わせた

5月24日午後
近所の高台に付近に住む小学5年生の男児を誘い出して殺害
ここから奇行の数々が始まる…

首を切断しに出かける

少年は10時から12時にかけて起床し
自分でパンを焼いて食べ
午後1時から3時の間に、男児の首を切るために自宅を出た

黒いビニール袋の上に置いた男児の遺体を
糸ノコギリの両端を持ち
一気に左右に2回切ると
ノコの歯が細かったためか
スムーズに切れ切り口が見えた

人間の肉が切れることを確認した少年は
左手で男児の額のあたりを押さえながら
右手で首を切っていく

犯人「現実に人間首を切っているんだなぁと思うと、エキサイティングな気持ちになった」

男児の首の皮が1枚になった時に左手で髪をつかんで上に引っ張り上げ

首の皮を伸ばして一気に首の皮を切った。

首を切断して射精した

犯人は常識的には考えられないことだが
彼は奇行によって快感を得ているのである。

生首と会話

男児の目は開いたままで
眠そうにみえ
どこか遠くを眺めているように少年には見えた

男児の生首(少年の声を借りて)「よくも殺しやがって!苦しかったじゃないか!」

少年「君があの時間にあそこに居たから悪いんじゃないか」

男児の生首は、さらに文句を言った

少年は
これは死体にまだ魂が残っているためだと考え
魂を取り出すため
また、眠たそうな男児の目が気に入らなかったため
「龍馬のナイフ」で男児の両目を突き刺し
さらに、2、3回ずつ両方の瞼を切り裂き
口の方からそれぞれ両耳に向け、切り裂いた

その後は文句を言わなくなったという

「殺人をしている時の興奮をあとで思い出すための記念品」

として持ち帰ろうと考え
舌を切り取ろうとしたが
死後硬直でかなわなかった

汚れた血を清めるために血を飲んだことを

「その理由は『僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、その汚れた血が清められる』と思ったからでした」

と告白した。

男児の頭部を家に持ち帰る

土や木の葉で汚れた頭部を風呂場で15分ほどかけて洗って

自分の部屋の天井裏に隠した

後に、少年は首を洗った理由2つを以下のように語っている。

1、殺害場所の特定が出来ないように、頭部に付着している土や葉を洗い流すため
2、警察の目を誤魔化すための道具になってもらうため

少年の頭部が血で汚れていたので『せいぜい警察の目から僕を遠ざけてくれ。

君の初舞台だよ』という意味を込めて

顔を綺麗にしてあげようと思った。

少年は首を洗った時も興奮して勃起し

髪の毛にクシを入れながら射精した

少年は「警察は自分の学校に首を置くはずはないと思い

捜査の対象から逸れると考えた」と

友が丘中学校の正門前に男児の首を置くことを決めた

また、ただ首を置くだけでは捜査が攪乱できるかどうかわからないと考え

「偽りの犯人像」を表現する手紙を咥えさせようと考えた

酒鬼薔薇聖斗が書いた手紙

さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLLKILLER
学校殺死の酒鬼薔薇

犯人は当時14歳の未成年。

そのため、逮捕後も実名が報道されることは無かった。

マスコミ等を中心に犯人の少年を

「酒鬼薔薇」(さかきばら)や「酒鬼薔薇聖斗」(さかきばらせいと)

と事件以解決後も呼んでいるのは

この手紙がきっかけ。

少年の頭部を校門前に放置

5月27日未明、頭部が入ったカバンを自転車の前カゴに入れて

中学校の校門前に遺棄した

「正門の前だと一番目につくところだし、地面なら据わりもいいだとろうと思い、
正門の鉄扉の中央付近に顔を道路側に向けて置きました。
手紙を取り出し”酒鬼薔薇聖斗”の文字が見えるように縦に
『酒』いう文字の方を口にくわえさせたのです」

「学校の正門前に首が生えているというような
『ちょっと不思議な映像だな』と思って見ていたのです」

「性的興奮は最高潮に達し、性器に何の刺激も与えてないのに、何回もイッてました」

酒鬼薔薇聖斗の第二の声明文

6月4日、神戸新聞社宛てに赤インクで書かれた第二の声明文が届く。

内容はこれまでの報道において「さかきばら」を「おにばら」と誤って読んだ事に強く抗議し

再び間違えた場合は報復する

としたものだった。

少年は「はっきり言って、調子づいてしまった」

と供述

「新たに手紙を書けば、僕の筆跡が警察に分かってしまうと思ったが、
僕自身、警察の筆跡鑑定を甘く見ていた。
『あれで捕まるんやないか、失敗したなぁ』と思ったが、どうしようもなかった」

と逮捕後供述

声明文を書くにあたり

少年はある犯人像をイメージして書いた

そのイメージは高校時代に野球部に所属したことがある三十歳代の男。

父親はおらず、母親からは厳しいスパルタ教育を受けながら、
学校では相手にされず孤立している。
学校関係の職場で働いていたが解雇され、今は病身の母親と二人暮らし。

学校時代にいじめにあったので、自分を「透明な存在」と思うようになり、
そんな自分を作り出した義務教育を怨んでいる。
被害妄想と自己顕示欲が人一倍強く、社会を憎み、密かに復讐を考えている。

酒鬼薔薇聖斗逮捕へ

6月28日、現場近くに住む少年に朝から任意同行を求め

事情を聞いていたところで犯行を自供

少年は当初犯行を否認していたが

取調官が第一の犯行声明文のカラーコピーを取り出して

「これが君の書いたものであるということは、はっきりしている。筆跡が一致したんや」

と突きつけると、声を上げて泣き出し、自供を始めた

午後7時5分、殺人及び死体遺棄の容疑で少年を逮捕

酒鬼薔薇聖斗逮捕後

1997年(平成9年)10月13日
神戸家庭裁判所は少年を医療少年院送致が相当と判断、関東医療少年院に移される。

1999年(平成11年)
第二の事件で死亡した女児の遺族と少年側で約8,000万円の慰謝料を支払うことで示談成立。

2001年(平成13年)11月27日
治療が順調であるとの判断から、東北中等少年院に移る。

東北中等少年院に移送された後に院生からいじめを受け、
さらに院生の一人がたまたま教官の持っていた書類を盗み見たところ、
少年が偽名であることが発覚。

「お前、まさかあの酒鬼薔薇なのか」と問いかけると、
少年がニヤッと笑って頷いたという噂がひろまり、
少年の正体が一部の収容者にばれたという。

その後、いじめが過激になり、2002年初夏に突然、半裸状態で意味不明の奇声を発し、
職業訓練で使うカッターナイフを振り回し、周りを威嚇し始めたという。

教官らが駆けつけ、ほかの院生を連れ出し、少年を取り囲んで説得を始めたが、
カッターナイフで自分の性器を切り付けたという。

少年は直ちに個室に軟禁されて、事情聴取を受けたが、
なかなか興奮が冷めず危険なうえ、動揺が激しく、
何を言っているのか分からなかったため、最終的に「奇行」と断定された。

2004年(平成16年)3月10日
成人した少年は少年院を仮退院。この情報は法務省を通じ、被害者の家族に連絡された。

2005年(平成17年)1月1日
少年の本退院が認可される。

2007年(平成19年)3月
第二の事件で死亡した女児へ、医療少年院退院後、初めて謝罪の手紙が届けられた。
しかし遺族は「必死に生きようとする姿が見えてこない」と
賠償についても疑問を投げかけた。

現在遺族への慰謝料は、少年の両親が出版した本の印税の他、
1ヶ月に少年から4,000円と両親から8,000円支払われていると報道された。

酒鬼薔薇聖斗の現在と本名

事件当時の酒鬼薔薇聖斗の本名は
東真一郎(あずましんいちろう)
という名前が週刊ポストの取材により判明しています。

その後、

「2004年に医療少年院を退院後は K.M として生活していた」

との事ですが

日本には戸籍法があり名字まで変えるのは一般的には不可能です。

しかし「姓を変えないとその人の社会生活に著しい支障が出る」

場合に限り
管轄の家庭裁判所に申し立てて
姓を変更する事が可能
という特例に基き

現在は名前も名字も変わっているようです。

現在のイニシャルはK.Mか

再度名前を変えている可能性も十分考えられますね。
酒鬼薔薇聖斗は結婚し子供もいる
ファンの女性と結婚しているとか

子供がいるともささやかれています。

元少年Aこと酒鬼薔薇聖斗の結婚相手の詳細についてですが

調べてみましたが名前や詳細などは分かりませんでした。

あれだけ日本を震撼させた事件を起こした犯人にも関わらず

結婚する相手が居るのが意外ですよね。

当時はそのカリスマ性から酒鬼薔薇聖斗の

ファンクラブまであるという事も囁かれていました。

よって結婚相手の女性は酒鬼薔薇聖斗のファンではないのか?

という噂もあるようです。

酒鬼薔薇聖斗の現在の画像

酒鬼薔薇聖斗記者を追いかけ回す<\h2>
愛媛、徳島、神奈川、静岡、そして東京…。
9年10月に収容された関東医療少年院(東京都府中市)での矯正教育を経て、
16年3月に仮退院した加害男性。
その後、どこに居住しているかをめぐっては、多くの噂が飛び交った。

懐疑の目を向けられては転居を繰り返したのか、
27年6月に犠牲者遺族に無断で、
「元少年A」という匿名で出版した手記「絶歌(ぜっか)」には、
日雇いや少年院で身につけた溶接工の仕事で食いつなぎ、
ネットカフェや簡易宿泊所を転々とする日々がつづられている。

両親ですら会って話を聞きたいという希望がかなわない中、
直撃取材に成功した週刊文春の記者は半年以上をかけ、
20年前とは別の名前で暮らす住居を特定したという。

記者によると、加害男性に名前を確認したところ、
「何のことか分からない」と答えていたが、途中から様子が一変した。

「名刺も手紙もいらねえよ」「命がけで来てんだよな」

脅しとも取れる言葉を発し、
異変を感じて逃げる記者を約10分間、執拗(しつよう)に走って追いかけてきた。
記者は「(加害男性は)ポケットの中で何かを握る素振りを見せながら叫んでいた。
更生できているのか疑問に感じた」と振り返る。

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