さんまの壮絶すぎる人生
「生きてるだけで丸儲け」の本当の意味が話題に…


明石家さんまの感動エピソード

「生きてるだけで丸儲け」
明石家さんまさんの座右の銘として有名です。

明石家さんまさんの人生を生い立ちから追ってみると、
トンデモナイ壮絶な人生を送ってきたことが判明。

「生きてるだけで丸儲け」の本当の意味が少し分かったような気がします。
今回はそんな明石家さんまさんの感動エピソードを紹介します。

明石家さんまさんが泣かない理由

自身が「泣かない理由」を話したネタが
まさかの“美談”として受け取られてしまったことで苦笑いしたエピソード。

明石家さんまさんがテレビで「涙を見せない」ことを
モットーにしていることはよく知られています。

明石家さんまさんは番組で「なぜ泣かないんですか?」
と質問を受けた際、

「涙は(村上)ショージのためにとってあんねん」

と発言したことで
想定外の展開になってしまったという。

自身はその発言はボケのつもりでショージからの
「俺の方が先に死ぬのんかい!」という
ツッコミを期待していたものだったが、
その発言が共演者の後輩芸人を泣かせてしまった・・・

「ホトちゃん(雨上がり決死隊の蛍原徹)が涙ぐんでしもて……」

と、後輩芸人を感動をさせてしまい、
その場に居たショージも、

「そしたら(間)寛平さんが大ヤキモチ焼いてしもて、
『俺のは?』言うてましたよと暴露した。

そんな周囲の反応に、さんまは「素通りされるとカッコ悪いねん、
ツッコミあると成立するのにな」

と語ったという。

「僕は泣かないって決めてますから。

僕の好きだった女性のお母さんが昔、
『さんまさんはテレビで泣かないから信用できる』って言ってくれたんです。

その時に『ああ、こんな人がいるんなら俺は一生テレビで泣かない』って思ったんです」

だから、良く泣く芸能人との共演が無いわけですね。

(徳光さんとは共演NGとされている。
24時間TVを批判したのが理由らしい)

実母は三歳の時に病死

明石家さんまさんが小学校高学年の時に父が再婚し、
年の離れた弟(故人)ができた。

継母には遠慮もしたし反発もあった。
その継母は、隣の部屋で酒を煽りながら

「ウチの子はこの子(弟)だけや・・・」

と言うのが壁伝いに聞こえてきてそれが本当に嫌だったという。
よく弟との二人、二段ベッドで泣いていたそうだ。

だから明石家さんまさんは酒を飲む女性が苦手らしい。

だが、明石家さんまさんの継母に対する「飢えた愛」が
お笑いの感覚を研ぎ澄ませていったというから
人生はわからないです・・・

継母は明石家さんまさんの事をずっと無視していた。

まるで明石家さんまさんが
そこにいないかのように弟にばかり話しかける。

それでも明石家さんまさんは
継母と仲良くしてもらおうと努力していた。

継母に反応してもらいたい。
だから、毎日毎日必死で面白いことを考えたという。

そのうち、学校でもそのノリで暮らすようになり一躍人気者に。
そして、お笑いの道に進むようになったという。

しかし、可愛がっていた弟が19歳の時、
まさかの焼身自殺をしてしまい、
さんまさんは大きな転機を迎えることに・・・

弟が19歳の時に焼身自殺

当時の明石家さんまさんは冠番組を持つほど人気があった。

明石家さんまさんは弟の事を”チビ”と呼んでいた
チビは高校時代、サッカー部のキャプテンでインターハイにも出たし、
国体選手にも選ばれたほどの実力の持ち主だったという。

明石家さんまさんもサッカー好きで有名だが、
弟の方が実力が全然上だったと、本人も言っている。

亡くなる前年には

「今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう」

と約束しており、後にこう語っている。

「キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。
まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」

「あいつは自殺するような人間やない。
もし自殺するほど苦しんでいたら、ぼくにひとこと相談したはずや・・・」

泣きながらそう語ったのだそう。

かわいがっていた弟さんの突然の死。
悲しくないはずがありません。

自分に相談なしに自殺なんてするはずがない。
そう思うのも当然ですよね・・・。

「家業を継ぐことに悩んでいた。」

新聞記事にはそのように書かれていますが、真相は不明です。

弟の死により目いっぱい泣いたんでしょうから
前にも触れたように「泣くことを止めた」
原因の一つになっているかもしれませんね。

子供たちに「パパ」ではなく「ボス」と呼ばせている理由

元妻大竹しのぶには、結婚時、連れ子の「ニチカ」がいた。

明石家さんまさんは継母の事があったからニチカの事をとても可愛がり、
ボスと呼ばせるのも実子の「イマル」と
同等に接したいという気遣いからだという。

家に帰ってくると、
イマルよりも先にニチカに触っていたそうだ。

離婚した今でも大竹しのぶの話をよくするのは
生い立ちの話をしないためのバリアのようなものらしい。

日本航空123便墜落事故でさんまは死んでいたはずだった

日本航空JAL123便墜落事故は1985年8月12日に起きた。
単独機としては世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故であり、
その数は520名に及ぶ。

明石家さんまさんは当日、
東京のフジテレビで「オレたちひょうきん族」の収録後、
この便で大阪へ移動し、毎日放送「ヤングタウン」に出演予定であった。

だがたまたま「ひょうきん」の収録が予定よりも早く終わったために
123便をキャンセルし、
ひとつ前のANA35便と推測される便で大阪に向かい難を逃れたという。

本来、この墜落便に乗っていたのだ!

生きてるだけで丸儲けの本当の意味

明石家さんまさんはこの事故をきっかけに、
新幹線で行ける範疇の場所(東京~大阪の往復など)へは
飛行機ではなく新幹線を利用するようになったという。

明石家さんまさんはお笑い番組は戦場だと言っています。

・お母さんに好かれたい。
・弟のために頑張りたい。
・無念のうちに亡くなってしまった520名の方々の為に彼らの分まで精一杯生きたい。

明石家さんまさんは弟さんや家族に関する過去を自分の内に隠し、
視聴者を笑わせることに真剣に取り組んでいます。
明石家さんまさんは正に笑いのプロフェッショナルです!

心に響く明石家さんまの名言ランキングでも
もちろん一位を獲得した「生きてるだけで丸儲け」。

一般的に
「小さな失敗にくよくよするのはやめて毎日いいことをばかり考えて暮らそう」
と言う意味で知られるこの名言。

また、娘のIMALU(いまる)という名前も、
「生きてるだけで丸もうけ(いきてるだけでまるもうけ)」を由来として命名されています。

本当ならば明石家さんまは日航機事故で亡くなっていたのかもしれない。

そう考えることで
もう一度生かされた人生を最高に楽しみ、
周りを笑顔をすることが彼に与えられた使命
であるというふうな考えになったのではないだろうか。

このように常に『死』を意識して生きてきたさんまだけに、
『生きてるだけで丸儲け』という言葉が深みをもってきます。

明石家さんまさんにこれから先、
もっともっと幸多い人生が待っていることを切に願います。

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