死刑執行後に無実が証明された男たち…
彼らが最後に求めた食事を見ると・・・



死刑という制度は罪を被せられた人からすれば
無実の罪で命を裁かれてしまう恐ろしいものです。

全く関与してなかった殺人の為、死に追いやられた
レオ・ジョーンズとクロード・ ジョーンズは刑の執行直前、
偶然にもステーキと卵という同じメニューを希望した。

この2人の死刑囚には他にも共通点があった。
それは死刑執行後、無実が証明されたということだ。

今回は死刑執行後に無実が証明された男たちについて紹介します。

キャメロン・ウィリンガム

罪状 :放火殺人罪
死刑執行:2004年
無罪判決:2010年

最後の食事:リブステーキ、オニオンリング、ハッシュドポテト、2つのパイ

キャメロンには自分の3人の娘に暴行を加え、
それを隠ぺいするため家に放火し、3人の娘を殺害した罪で死刑となった。

このケースは2009年、”The New Yorker”誌が調査リポートで
ウィリンガムに対する証拠が説得力に欠けるとほのめかしたために広く世間の注目を集めた。

2010年、テキサス州科学捜査委員会は
放火を断定する際の科学的調査が不十分であったことを認めた。

ルーベン・カントゥ

罪状 :強盗殺人罪
死刑執行:1993年
無罪判決:2010年

最後の食事:フライドチキンとライス

1984年、2人の若者がテキサス州南部、
サン・アントニオの工事中の家屋に強盗が押し入り、
そこで眠っていた作業員2人に何度も発砲し、
内1人が死亡するという事件があった。

この事件当時、カントゥは17歳だった。

生き残った被害者の証言により、
カントゥは有罪と見なされ死刑宣告を受けた

カントゥは自らの無実を訴えることに疲弊していたせいで
マスコミが報じることはなく、世間の注目を集めなかった。

バブルガムが一個欲しいという彼の最後の願いですら拒否された。

しかし12年後、当時の事件を知る2人の目撃者が
「カントゥはその犯罪に関わっていなかった」と
テキサス州の新聞社「ヒューストン・クロニクル」に語ったため、
彼の物語は一気に大きく取り上げられた。

クロード・ ジョーンズ

罪状 :強盗殺人罪
死刑執行:2000年
無罪判決:2010年

最後の食事:目玉焼き8つ、ソーセージ、ステーキ、ジャム付パン6片

1989年11月、検察側はジョーンズが
テキサス州のポイント・ブランクにあるゼルズ酒店に押し入り、
店主のアレン・ヒルゼンダガーに3度発砲、酒を盗み死亡させ、
逃走前に2人の仲間と共に現金900ドル(約8万4千円)をレジから奪い、
3日後、3人はテキサス州ハンブル市の銀行に押し入り、
およそ14000ドル(約130万円)相当の大金を奪い、
その金でラスベガスで豪遊していたと主張した。

酒屋での犯行から約3週間後、
ジョーンズは銀行強盗の罪でフロリダで逮捕された。

2000年12月に60歳だったジョーンズは死刑を執行され、
ジョージ.W. ブッシュが知事だった時期の最後の死刑囚となった。

彼は最後まで無罪を主張し、罪を認める発言はしなかった。
代わりに死刑直前、被害者の家族に対しこう言ったという。

「(自分はやっていないが)自分が死刑になることで
遺族は気持ちにけじめがつくだろう。
身内を亡くした遺族には本当に同情する。
俺はみんなを愛してるよ。さあ、時間だ。」

10年後、一本の毛髪のDNA鑑定結果がジョーンズの有罪について疑惑をもたらした。
それが彼を事件現場に結びつけていた唯一の証拠だった。
分析の結果、それはジョーンズのものではなく
殺された被害者のものである可能性が高まった。

レオ・ジョーンズ

罪状 :警官殺人罪
死刑執行:1998年
無罪判決:1998年

最後の食事:ステーキ、ベークドポテト、目玉焼き、トースト

ジョーンズは1981年、
フロリダ州ジャクソンビルで警官のトーマス・ザフランスキを殺害した罪で死刑の判決を下され、
1998年3月24日、電気椅子による死刑を執行された。

ジョーンズは裁判で拘束されてから12時間休む間もなく自白を強要され続けたと証言した。
さらに彼は警察署でもずっと暴力を受けていたことも証言した。

この証言を裁判所が受け入れることはなく、
控訴後の判決もその自白は有効だとされた。

ジョーンズは最高裁に電気椅子は残酷で異常な刑罰だと訴えたが、
この訴えは退けられた。

後に警察官らが結託して
ジョーンズに虚偽の自白をさせ暴行を加えていた事実が明らかとなる。

デビット・スペンス

罪状 :殺人罪
死刑執行:1997年
無罪判決:2000年

最後の食事:フライドチキン・フライドポテト、チョコレートアイス、コーラ、紅茶、コーヒー

デビット・スペンスはテキサス州ウエイコ・パークで1982年、
3人の若者を拷問して殺害した罪により、
1997年4月3日に薬物注射による死刑が執行された。

検察側は
「スペンスはある若い女性の殺害計画を
コンビニエンスストアの店員に依頼された殺し屋である。」
と主張した。

検察側の説明では
「スペンスはターゲットの女性と間違えて、別の女性を殺害し、
さらにその目撃者であった他の2人を殺した。」という。

スペンスは最後まで無実であるという姿勢を崩さず、
拷問を行い3人の若者を刺殺したことも否認していた。

彼は2000年、証拠不十分として無罪となった。

142人は無実の罪で死刑宣告が下された

この無実の罪で死刑を宣告され、
執行されてしまったこれら5人の最後の食事のメニューは
プエルトリコのアムネスティ・インターナショナルが
世界的に展開している死刑制度廃止を呼びかけるキャンペーンで公開されたものです。

無実の罪で処刑されていった彼らの最後の食事のメニューからは
彼らの無念さと悲劇的な運命を組みとることができるかもしれません。

ちなみに米死刑情報センターの調べによると
1973年以降、無実の罪で死刑となった人のうち、
少なくとも142人は死刑が執行される前に釈放になったそうです。

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