1988年から映画公開された「火垂るの墓」は
戦争の悲惨さを市民目線で描いた作品として大きな話題になりました。
今回はそんな「火垂るの墓」の節子の死の真相を紹介します。
火垂るの墓とは
兵庫県神戸市と西宮市近郊を舞台に
戦火の下、親を亡くした14歳の兄と4歳の妹が
終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、
その思いも叶わずに栄養失調で悲劇的な死を迎えていく姿を描き、
愛情と無情が交錯する中、蛍のように儚く消えた二つの命の物語。
節子の死は栄養失調?
野坂昭如原作でスタジオジブリ制作でアニメ化された名作『火垂るの墓』。
太平洋戦争の末期、神戸に住んでいた14歳の清太と
4歳の節子の兄妹は神戸大空襲で母と家を失い、
親戚の家に身を寄せることになります。
しばらくして居心地が悪くなった清太は
節子を連れて家出して防空壕で暮らすようになります。
しかし配給も途切れがちで食料を得るあてもなく、
必死に飢えを凌ぐ日々を過ごします。
ある日、川辺で倒れた節子。
清太は節子を病院に連れていくもとおりいっぺんの診察しかされず、
清太は栄養をつけさせようと必死に食料を調達しますが、
その甲斐なく節子は終戦から7日後の8月22日に亡くなります。
それを追うように清太も9月21日に三ノ宮駅構内で衰弱死。
清太は錆びたドロップ缶を持っていて、
その中には妹・節子の小さな骨片が入っていました。
そして原作ではこのように書かれています。
白い骨は清太の妹、節子、
八月二十二日西宮満池谷横穴防空壕の中で死に死病の名は急性腸炎とされたが、
実は四歳にして足腰立たぬまま、眠るようにみまかったので
兄と同じ栄養失調症による衰弱死。清太の遺体を覗き込んだ駅員は彼の死を確認し、
腹巻きの中から節子の遺骨の入ったドロップの缶を見つけ出して、
もて余したようにふるとカラカラと鳴り、駅員はモーションつけて駅前の焼跡、
すでに夏草しげく生えたあたりの暗がりへほうり投げ、
落ちた拍子にそのふたがとれて、白い粉がこぼれ、
ちいさい骨のかけらが三つころげ、
草に宿っていた蛍おどろいて二、三十あわただしく点滅しながらとびかい、
やがて静まる。
原作にこのような記述があるため、
節子の死因は兄と同じく「栄養失調による衰弱死」だとされてきました。
そして節子が亡くなったのは
清太のエゴイズムのせいであると批判する声も聞かれます。
しかし、栄養失調ならカロリー消費量から兄・清太の方が先に影響が出るはずで
節子の様子から死因はそれ以外にあったのではないかとの指摘があります。
節子の死の真相
ただの栄養失調であればエネルギー消費量からいっても
兄の清太の方が先に症状が出るはず。
子供は、免疫力が低く、疾病にかかりやすい傾向にありますが、
節子の場合は化学物質によって体内の免疫機能が失われ、
栄養素の欠乏を引き起こしたものと思われます。
確かにお兄ちゃんの方が大きくて食べていないわけなので
先に栄養失調で亡くなるのは兄のはずですね。
ではなぜ節子が先に亡くなったのでしょうか。
それは2度出てくる目に異物感のシーンとあせもが原因とされています。
◼️お母さんが重体となった空襲の後に降った雨が節子の左目の中に入った時
◼️「目が痛い」と清太に訴えた時
◼️あせもの療養?
実はおばさんの家に居る頃に既に発症しています。
清太はお風呂で節子の背中に「あせも」を見つけ、
療養と称し、海に行って患部を塩水に浸けさせている。
節子の死の真因は軍需工場の出火から生まれた
有害物質を含む黒煙の雨粒を左目に受け、
体内に取り込んだ事によるものだと考えられています。
子供だから免疫が弱く、
栄養もロクに取れなかったため衰弱していったんですね・・・
引用:https://matome.naver.jp/odai/2138554244148265901
ネットでの反応
・え、節子の死栄養失調じゃなかったんかい
・火垂るの墓の節子の死についてスッキリした感ハンパない
・確かに皮膚の状態はおばさんちにいるころからだったから
気にはなってたんだよね。なんか切ないなぁ