織田信長と森鴎外の子供たちは
キラキラネームばかりだった…


織田信長の息子たちの名前

戦国時代の武将、織田信長。

奇抜なファッションセンスについては有名だが、
実は、彼の奇抜さは自身の息子たちの幼名に対する
命名センスにも表れていた。

長男

奇妙丸(きみょうまる) =織田信忠

生まれたばかりの赤ちゃんの顔は見方によっては奇妙かもしれません。
だからお世継ぎだけれど「奇妙丸」。

次男

茶筅丸(ちゃせんまる) =織田信雄

髪の毛が生えて生まれてくる赤ちゃんの中には
毛が立っている子もいます。それで次男は「茶筅丸」。

三男

三七丸(さんしちまる) =織田信孝

誕生日が3月7日だから。

四男

次(つぎ) =羽柴秀勝

於次(おつぎ)、於次丸(おつぎまる)などと呼ばれていた。

五男

坊丸(ぼうまる) =織田勝長

生母は不明。

六男

大洞(おおぼら) =織田信秀

通称は三吉(さんきち)という普通の名前。

七男

小洞(こぼら) =織田信高

六男とセットで名付けられたらしい。

八男

酌(しゃく)  =織田信吉

生母の通称が「お鍋の方」だったため。

九男

人(ひと) =織田信貞

十男

良好(?) =織田信好

正しい読み方は不明。

十一男

縁(えん) =織田長次

信長の末子。

信長の気持ちはさておきこの時代はこれでも良かったそう。

医学が発達していなかった時代、
魔よけの意味でおかしな名前をつけているようです。

森鴎外の子供の名前

信長に負けず劣らず、
子供の名前が話題になることが多い森鴎外。

作品とお髭が立派なお姿から近寄りがたいイメージですが、
実のところ子煩悩なパパさんだったことで知られています。

長男

於菟(おと)

長女

茉莉(まり)

次女

杏奴(あんぬ)

次男

不律(ふりつ)

三男

類(るい)

茉莉と類は今でこそ普通ですが、
その二人を含めてみんな当時としては珍しい名前だったのではないでしょうか。

長男の名前は特にルビがふっていないと読めないですよね。

なぜ森鴎外が変わった名前を子供達につけたのかは
自身のドイツ留学経験からきているそうです。

森鴎外の本名は林太郎(りんたろう)。

そのりんたろうという発音が外国人には発音しにくいものだった為、
子どもの名前は世界に通用するものにしようと思ったらしいのです。

特にフランス語やドイツ語でも読めるようにと考えたそうです。

長男・於菟はOtto(オットー、アンネフランクの父親の名前と同じ)に通じます。
また寅年に生まれたことから、中国の古書『左伝』から虎を意味する「於菟」とつけられたそうです。

長女・茉莉はMarry(マリー)から。次女・杏奴はAnne(アンヌ)から、
次男・不律はFritz(フリッツ)、三男はLuis(ルイ)に通じるようにつけられました。

当時から国際感覚豊かでエリートだった森鴎外らしい命名の仕方ですが、
やはり当時としては珍しく変わっていたみたいですね。

あなたにオススメの記事

⇒ 親による子供の殺害…子供の名前の共通点が案の定だった…