第二次世界大戦時に残された3通の遺書…
戦争は二度としてはいけない…
戦争は二度としてはいけない
第二次世界大戦によってあまりに多くの命を失った私たちは
二度と戦争を繰り返さないと誓いました。
しかし世界を見渡してみると今なお多くの軍事紛争が行われ、
今この瞬間も幾多の命が残虐な戦闘により奪われています。
国としては明確に武力行為による戦闘への参加は
今後もないというスタンスが現時点で見受けられますが、
イスラム国や北朝鮮の様な脅威も身近に感じる様になった昨今、
様々な可能性が議論されているのも事実です。
しかし、私たちは絶対に戦争を繰り返してはならない。
あの時、「こんなにも苦しい想い」をした歴史を
絶対に繰り返してはいけません。
今回紹介するのは第二次世界大戦時に残された『3通』の遺書。
そこには我々現代人には想像もつかない様な
「戦争により命を失うことを覚悟した人間の想い」が綴られていました。
第二次世界大戦時に残された3通の遺書
僕はもうお母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん、よく顔を見せてください。
しかし、僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。茂木三郎少尉 神風特別攻撃隊第5神剣隊
昭和20年5月4日沖縄周辺にて特攻戦死 19歳
引用:http://www.geocities.jp/kamikazes_site/isyo/isyobun/mogiisho.html
我一生、ここに定まる
お父さんへ、いふことなし。
お母さんへ、ご安心ください。
決して卑怯な死に方をしないです。お母さんの子ですもの。
それだけで僕は幸福なのです。
日本万歳、万歳、かう叫びつつ死んでいった幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!
かう叫びたい気持ちで一杯です。何か言ってください。一言でも十分です。いかに冷静になって考へても
何時も何時も浮かんでくるのはご両親様の顔です。
父ちゃん! 母ちゃん! 僕は何度でも呼びます。(中略)
お母さん、決して泣かないでください。
修が日本の飛行軍人であったことに就いて、大きな誇りを持ってください。
勇ましい爆音を立てて先輩が飛んでいきます。
ではまた。海軍中尉 富田 修 二十三歳
昭和19年9月25日台湾高雄西海上にて戦死
引用:http://www.geocities.jp/kamikazes_site/isyo/isyobun/tomitaosamu_chui.htm
母上様お元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有り難い母 尊い母俺は幸福だった
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと相花信夫 海軍少尉 第七十七振武隊
昭和二十年五月四日出撃戦死 十八歳
引用:http://samurai.kt.fc2.com/ti
皆、10代・20代の未来ある若者です。
この人達の未来が奪われた結果、
今、私たちは戦争は繰り返してはいけないと
声を高らかに語ることができます。
この歴史を繰り返すということは
どれほど人間として愚かなことか。
「戦争は繰り返してはいけない!」と伝えるのは
本当に良いことだと思います。
その声が多ければ多いだけ
戦争が繰り返される可能性は少なくなるでしょう。
しかし、「なぜ、繰り返していけないか」を
もっと直視しなければいけません。
そうする事でその言葉に本当に意味が宿ると思います。
ネットでの反応
・戦争が悪い事くらい小学生だって知っています。
外国人同士でも、個人対個人だと分かり合えるし、
友達になれるのに国家間だと何故紛争になってしまうのでしょう。
戦争をなくする為には彼らが想い描いた未来を
我々が作り上げなければならないと思います。・どんな気持ちで!と思うとたまりません。
自分の子供を置き換えることも考えられません。・戦争を起こした人は戦わず、起こされた者が戦わされる…
この理不尽が戦争です。本当に本当に許せない!・安倍に見せたい